「もし私が無上菩提を証得し、正覚を成就した後、私の住む仏剎には、無量不可思議の功徳荘厳が具足し、地獄・餓鬼・畜生・蠢動の類が存在せず、一切衆生および閻魔羅界・三悪道の者たちが、私の国に来生し、私の法に従い、皆阿耨多羅三藐三菩提を成就し、再び悪趣に堕ちることがないようにしよう。この願いが叶わなければ、無上正覚を取らない。(第一、国に悪道なき願;第二、悪趣に堕ちざる願)」
「私が仏となる時、十方世界の一切衆生が私の国に生まれ、皆紫磨真金色の身を具え、三十二種の大丈夫相を持ち、端正清浄にして、悉く同一の姿であるようにしよう。もし形貌に差別があり、美醜があれば、正覚を取らない。(第三、身悉金色願;第四、三十二相願;第五、身に差別なき願)」
「私が仏となる時、私の国に生まれる一切衆生が、無量劫の宿命を自ら知り、善悪の所作を知り、十方の過去・現在・未来の事を洞視・徹聴できるようにしよう。この願いが叶わなければ、正覚を取らない。(第六、宿命通願;第七、天眼通願;第八、天耳通願)」
「私が仏となる時、私の国に生まれる一切衆生が、皆他心智通を得るようにしよう。もし億那由他百千仏剎の衆生の心念を悉く知ることができなければ、正覚を取らない。(第九、他心通願)」
「私が仏となる時、私の国に生まれる一切衆生が、皆神通自在、波羅蜜多を得、一念の間に億那由他百千仏剎を超え、周遍巡歴して諸仏に供養できるようにしよう。もしできなければ、正覚を取らない。(第十、神足通願;第十一、遍供諸仏願)」
「私が仏となる時、私の国に生まれる一切衆生が、分別を離れ、諸根寂静となり、必ず等正覚を成就し、大涅槃を証することができるようにしよう。もしできなければ、正覚を取らない。(第十二、定成正覚願)」
「私が仏となる時、光明無量にして十方を普く照らし、諸仏の光明を超え、日月の明より千万億倍も勝れているようにしよう。もし衆生が私の光明を見て、その身に照触し、安楽を得ず、慈心を起こして善を行い、我が国に来生しないならば、正覚を取らない。(第十三、光明無量願;第十四、触光安楽願)」
「私が仏となる時、寿命無量にして、国中の声聞・天人も無数にして、寿命も皆無量であるようにしよう。たとえ三千大千世界の衆生が皆縁覚となり、百千劫の間共に計算しても、その数を知ることができないほどであるようにしよう。もしできれば、正覚を取らない。(第十五、寿命無量願;第十六、声聞無数願)」
「私が仏となる時、十方世界無量刹中の無数の諸仏が、もし共に我が名を称讃し、我が功徳国土の善を説かないならば、正覚を取らない。(第十七、諸仏称讃願)」
「私が仏となる時、十方の衆生が我が名号を聞き、至心に信楽し、所有の善根を心心回向して我が国に生まれることを願い、乃至十念せん。もし生まれないならば、正覚を取らない。ただし五逆・謗法の者を除く。(第十八、十念必生願)」
「私が仏となる時、十方の衆生が我が名号を聞き、菩提心を発し、諸の功徳を修め、六波羅蜜を奉行し、堅固不退となり、また善根を回向して我が国に生まれることを願い、一心に我を念じ、昼夜断絶することなく、命終の時に、我れ諸菩薩衆と共に、その前に現れ、須臾の間に即ち我が剎に生まれ、阿惟越致菩薩となるようにしよう。この願いが叶わなければ、正覚を取らない。(第十九、聞名発心願;第二十、臨終接引願)」
「私が仏となる時、十方の衆生が我が名号を聞き、我が国を念じ、菩提心を発し、堅固不退となり、諸の徳本を植え、至心に回向して極楽に生まれんと欲し、皆その願いが叶うようにしよう。もし宿悪ある者が我が名字を聞き、即ち自ら悔過し、道のために善を為し、経戒を持ち、我が剎に生まれんことを願い、命終の後に三悪道に堕ちることなく、即ち我が国に生まれるようにしよう。もしそうでなければ、正覚を取らない。(第二十一、悔過得生願)」
「私が仏となる時、国に女人なく、もし女人が我が名字を聞き、清浄信を得、菩提心を発し、女身を厭い、我が国に生まれんことを願い、命終の時に即ち男子と化して、我が剎土に来たるようにしよう。十方世界の諸衆生類が我が国に生まれる者は、皆七宝池の蓮華中に化生するようにしよう。もしそうでなければ、正覚を取らない。(第二十二、国無女人願;第二十三、厭女転男願;第二十四、蓮華化生願)」
「私が仏となる時、十方の衆生が我が名字を聞き、歓喜信楽し、礼拝帰命し、清浄心をもって菩薩行を修め、諸天世人が皆敬意を表すようにしよう。もし我が名を聞き、寿終の後に尊貴の家に生まれ、諸根具足し、常に殊勝の梵行を修めることができないならば、正覚を取らない。(第二十五、天人礼敬願;第二十六、聞名得福願;第二十七、修殊勝行願)」
「私が仏となる時、国中に不善の名なく、所有の衆生が我が国に生まれ、皆同一心にして定聚に住し、永く熱悩を離れ、心清涼を得、受ける快楽は漏尽の比丘のごとくであるようにしよう。もし想念を起こし、身を貪計するならば、正覚を取らない。(第二十八、国無不善願;第二十九、住正定聚願;第三十、楽如漏尽願;第三十一、不貪計身願)」
「私が仏となる時、我が国に生まれる者は、善根無量にして、皆金剛那羅延身の堅固の力を得、身頂に皆光明照耀あり、一切の智慧を成就し、無辺の辯才を獲得し、善く諸法の秘要を談じ、経を説き道を行じ、語は鐘声のごとくであるようにしよう。もしそうでなければ、正覚を取らない。第三十二、那羅延身願。第三十三、光明慧辯願。第三十四、善談法要願。」
「私が仏となる時、所有の衆生が我が国に生まれ、究竟必ず一生補処に至るようにしよう。ただし本願により衆生のために弘誓の鎧を被り、一切有情を教化し、皆信心を発し、菩提行を修め、普賢道を行ずる者を除く。たとえ他方世界に生まれても、永く悪趣を離れ、或いは法を説くことを楽しみ、或いは法を聞くことを楽しみ、或いは神足を現じ、意のままに修習し、円満ならざるなきようにしよう。もしそうでなければ、正覚を取らない。(第三十五、一生補処願;第三十六、教化随意願)」
「私が仏となる時、我が国に生まれる者の須いる飲食・衣服・種々の供具が、意のままに即ち至り、願いの満たされざることなきようにしよう。十方の諸仏が、念に応じてその供養を受けるようにしよう。もしそうでなければ、正覚を取らない。(第三十七、衣食自至願;第三十八、応念受供願)」
「私が仏となる時、国中の万物が、厳浄光麗にして、形色殊特、極めて微妙にして、称量すべからざるようにしよう。その諸衆生は、たとえ天眼を具するとも、その形色・光相・名数を弁じ、総じて宣説することのできる者があれば、正覚を取らない。(第三十九、荘厳無尽願)」
「私が仏となる時、国中に無量色の樹あり、高さ百千由旬、或いは道場樹は高さ四百万里なるようにしよう。諸菩薩の中、たとえ善根劣なる者も、また能く了知し、諸仏の浄国荘厳を見んと欲せば、悉く宝樹の間にて見ることができ、明鏡にその面像を睹るがごとくであるようにしよう。もしそうでなければ、正覚を取らない。(第四十、無量色樹願;第四十一、樹現仏刹願)」
「私が仏となる時、所居の仏刹が、広博厳浄にして、光明鏡のごとく、十方無量無数不可思議の諸仏世界を徹照し、衆生これを睹て希有の心を生ずるようにしよう。もしそうでなければ、正覚を取らない。(第四十二、徹照十方願)」
「私が仏となる時、下は地際より上は虚空に至るまで、宮殿・楼観・池流・華樹、国土所有の一切万物が、皆無量の宝香を以て合成され、その香普く十方世界に薫じ、衆生これを聞きて皆仏行を修めるようにしよう。もしそうでなければ、正覚を取らない。(第四十三、宝香普薫願)」
「私が仏となる時、十方仏刹の諸菩薩衆が、我が名を聞きて、皆悉く清浄・解脱・普等三昧、諸深総持を逮得し、三摩地に住して仏を成ずるに至り、定中に常に無量無辺の一切諸仏に供養し、定意を失わざるようにしよう。もしそうでなければ、正覚を取らない。(第四十四、普等三昧願;第四十五、定中供仏願)」
「私が仏となる時、他方世界の諸菩薩衆が、我が名を聞きて、離生法を証し、陀羅尼を獲得し、清浄歓喜にして平等住を得、菩薩行を修め、徳本を具足し、応時に一・二・三忍を獲得せず、諸仏法に於いて現証不退を得ることができないならば、正覚を取らない。(第四十六、獲陀羅尼願;第四十七、聞名得忍願;第四十八、現証不退願)」