第3章 子供の父親

佐理菜の目には悪意に満ちた光が宿っていた。

周囲は祝福の声で溢れ、あのデブを嘲り、小泉佐友理のことを小癪な女だと罵っていた。寺田凛奈の顔立ちは実はそんなに悪くないなんて、ふざけたこと言いやがって!?

ふん。

佐理菜が写真を小泉佐友理に渡そうとした瞬間——細く白い手が伸びてきて、写真を奪い取った。

寺田凛奈は目を伏せたまま、無造作に写真を丸めると、佐理菜の髪を掴み、彼女が痛みで口を開けた瞬間、その写真を口の中に押し込んだ!

一連の動作は、まるで水が流れるように滑らかだった。

口の中に広がる、苦くて不快な味――

その瞬間、佐理菜はようやく異変に気付いた。反射的に吐き出そうとしたその時、低く冷ややかな声が響いた。

「佐理菜、賭けに負けたなら、きっちり責任を取らないとね」

佐理菜の動きが突然止まり、幽霊でも見たかのように彼女を見つめた。

少女はシンプルなジーンズと白いシャツを着ており、長い脚と細い腰が際立っていた。

髪は無造作に後ろで縛られ、乱れた前髪が首筋を隠していた。肌は玉のように白く清潔で、全体的に美しさが際立っていた!

しかし、その聞き覚えのある声は…

周りの人々はこの状況を見て集まってきた。ある男性が眉をひそめて言った。「美人さん、君は誰だい?佐理菜は臼井さんの婚約者だぞ!臼井家を怒らせるのが怖くないのか?」

凛奈は彼を無視し、小泉佐友理を助け起こした。

彼女の目は赤く充血していたが、幸いにも重症ではなさそうだ。

静かに息を整えながら、低く落ち着いた声で言う。

「水で目を洗いなさい」

小泉佐友理は唇を噛みながら、やや不確かな声で呼びかけた。「凛奈姉さん?」

「うん」

「……」

全員が驚愕し、信じられない様子で彼女を見つめた。

誰かが思わず口を開いた。

「あのデブが痩せたら……こんなに綺麗だったのか!?」

皆の視線が再び佐理菜へと向けられた。

彼女はもともと整った顔立ちを持ち、華やかな美しさに自信を持っていた。

しかし、今、凛奈の隣に並ぶと、どこか地味で平凡に見えてしまう。あれほど誇りにしていた美貌が、かすんでしまったのだ。

周りの視線に、佐理菜は平手打ちを何発も食らったかのように、顔が火照った……

彼女が誕生日パーティーにわざわざあのデブを呼んで婚約破棄させたのは、みんなに佐理菜が寺田凛奈よりずっと美しいことを見せつけるためだった。

しかし――

現実は、まるで逆だった。

華やかな舞台の上で輝くはずの自分が、今やただの 「笑い者」 に成り下がってしまったのだ。

「どうしたんだ?」

父親の寺田さんが継妻を伴い、大股で近づいてきた。凛奈を見て一瞬驚いた様子で口を開いた。「凛奈?」

長女が痩せてこんなに美しくなるなんて?

佐理菜は状況を察し、目が一瞬揺れた。そして、突如として涙をこぼしながら、口の中から写真を取り出した。

「お姉ちゃん……私、わかってるの。臼井さんに婚約破棄されて、悔しいんでしょ? だから……うん、私のこと、もっと殴っていいよ……!」

佐理菜の泣き声が響くと、父親はハッと我に返った。

そして、何の前触れもなく腕を振り上げ、凛奈に向かって振り下ろそうとした。

「寺田凛奈! 臼井さんがお前と婚約破棄したのは、お前が身持ちの悪い女だからだ! 未婚のくせにガキまで孕みやがって!自業自得のくせに、なんで佐理菜を責めるんだ!? お前がだらしないのが悪いんだろうが!」

凛奈の心は冷え切った。

5年前、彼女はすでにこの偏った父親の冷酷さに心を痛めていた。

彼女がこの平手打ちを避けようとしたとき、予想外にも継母の富樫和恵(とがし かずえ)が旦那を止めた。「あなた、こんなに大勢の人が見ているわ。本題を忘れないで」

本題……

寺田健亮(てらだ けんすけ)は心の中の怒りを抑え、一言だけ言った。「上に来い!」

書斎で。

寺田健亮、富樫和恵、そして佐理菜が一緒に座っていた。

凛奈は彼らと向かい合って座っていた。彼女はソファにもたれかかり、まぶたを重く垂らしている。一見すると、まるで何も眼中にないかのような傲慢な態度。まるで全てを見下すかのような狂気すら感じさせる雰囲気だった。だが、彼女のことをよく知る者なら、すぐに気づくだろう。

――単に眠いだけだと。

父親は遠回しな言い方をせず、単刀直入に切り出した。

「凛奈、臼井家はお前との婚約破棄を正式に認めた。そして、お前の妹が臼井家に嫁ぐことになった。今日は佐理菜の誕生日だ。だから、お前の母親が残した会社を妹に譲ってやれ。結婚の持参金として、いい贈り物になるだろう」

寺田佐理菜は早く口を開いた。「あなたは未婚で妊娠して、寺田家の顔を潰したうえ、臼井家まで何年も嘲笑の的にしたわ。会社を私の持参金として渡しなさい。それが償いよ!」

寺田健亮は用意していた契約書を投げつけ、命令した。「これは会社譲渡の契約書だ。サインしろ」

寺田凛奈の瞳には冷たい光が宿っていた。

本当は寺田家が権力に媚びて破談にしたくなかったのに、臼井家が理由も分からずに破談に同意しなかっただけなのに、今になって全て自分のせいになるの?

それに寺田家の全ては、彼女の実の母が残したものだった...今や家を奪っただけでは飽き足らず、会社まで狙うの?

欲深さに吐き気を催す。

彼女はほんのわずかに美しい目を持ち上げ、冷ややかに言った。「だめよ」

寺田佐理菜は尻尾を踏まれた猫のように、甲高い声で叫んだ。「寺田凛奈、どういうつもり?」

寺田凛奈は外を見た。日が暮れかけている。芽を寝かしつけに帰らなければ。そこで彼女は直接言った。「破談はいいわ。でも持参金はだめ」

寺田凛奈はふと窓の外に目を向けた。

夕暮れが近づき、空は薄暗くなり始めている。

芽を寝かしつける時間が迫っていた。無駄なやり取りをする気はない。

彼女は端的に言い放った。

「婚約破棄はいいわ。でも、持参金はダメよ」

そう言うと、彼女は立ち上がってそのまま外に向かった。

「寺田凛奈、そこで待て!」

父親が怒鳴ったが、寺田凛奈は聞こえないふりをした。

中庭に出ると、寺田佐理菜が追いかけてきて、彼女の前に立ちはだかった。「寺田凛奈、言いなさいよ。真広お兄さんが諦められなくて、本当は破談したくないんでしょ!」

寺田凛奈はうんざりした。「どいて」

「やっぱりそうなのね、厚かましい女!」

寺田佐理菜が手を伸ばし、横柄で乱暴に彼女の顔を殴ろうとした!

次の瞬間、寺田凛奈に手首を掴まれた。

寺田佐理菜は逃れられず、かんかんに怒って罵った。「言っておくわ。自分が綺麗になったからって、真広お兄さんが心変わりするなんて思わないことね!どうあっても、私生児を連れたあなたなんかと結婚するわけないわ!そうそう、父親不明の私生児はどうして連れてこなかったの?」

「パン!」

寺田凛奈は思い切り力を込めて、思いっきり平手打ちを返した。

彼女の瞳は真っ黒で、地獄から這い出てきた悪魔のようだった。「芽は私生児じゃないわ。次にそんな戯言を聞いたら、容赦しないわよ!」

そう言い残すと、彼女はそのまま立ち去った。

寺田佐理菜の頬がヒリヒリと痛み、目を見開いて唖然としていた。驚きのあまり泣くことさえ忘れていたようだ。

 -

A市の夜、ネオンが煌めき、街は幻想的な光に包まれていた。

寺田凛奈はタクシーの座席に身を預け、静かに目を閉じていた。

車窓から差し込むネオンの光が、彼女の顔を照らしたかと思えば、また影に沈む。

その儚げな光と影のコントラストが、どこか物寂しい雰囲気を漂わせていた。

父親不明...私生児...

その二つの言葉が胸に引っかかり、寺田凛奈はふっと切なげにため息をついた。

5年前、一体どうやって妊娠したのか、今でも謎のままだ。芽の父親が誰なのか、まったく見当もつかない。

「着きました」タクシー運転手の声が、寺田凛奈の思考を中断させた。

彼女が車を降りてホテルに入ろうとした時、突然前方からボディーガードの一団が現れ、彼女を脇に押しやった。「どいてください!」

押しのけられた人々が小声で話し合っていた。

「こんな遅くに、藤本社長はどこに行くんだろう?」

「藤本家の坊ちゃんがムースケーキを食べたいって言ったんだって...」

寺田凛奈が手を伸ばしてあくびをしようとした時、背の高い貴公子のような男性が、5、6歳くらいの男の子を抱いてエレベーターホールから大股で歩いてくるのが見えた。

男性はまっすぐ前を向いて歩いていたが、寺田凛奈の脇を通り過ぎる時、突然足を止め、深い視線を彼女に向けて低い声で言った。「寺田さん......」

寺田凛奈は途中だったあくびを止めた。