第299章 彼女は彼がそう呼ぶのが大好き

「彼がこんなに大勢の人の前で……」

喬綿綿は恥ずかしがり屋で、墨夜司の親密な行動を少しずつ受け入れようとしていたけれど、人前で愛情表現をするのは、まだ慣れていなかった。

幸い、墨夜司も分別をわきまえていた。

彼女の唇に軽くキスをしただけで、すぐに離れた。

深く魅惑的な墨色の瞳に火花が一瞬きらめき、バラのように赤く染まった彼女の頬を見つめながら、少し掠れた声で言った。「ありがとう、墨奧様」

喬綿綿は周りの何人かの視線を感じた。

彼女は少し恥ずかしくなって、彼の胸に顔を埋めた。先ほどのキスを思い出すと、心臓が激しく鼓動した。

蜻蛉が水面をかすめるような軽いキスだったけれど、こんなに大勢の人の前で初めて彼女にキスをしたのだ。

しかも、彼は彼女のことを墨奧様と呼んだ。

彼がそう呼ぶのが、とても気に入った。

彼が墨奧様と呼ぶとき、特別に愛情がこもって聞こえた。

雷恩はさすがにベテランで、あまり動揺することはなかった。坊ちゃまのこのような公の場での愛情表現に驚いたものの、表面上はそれほど表さなかった。

表情を見る限り、まだ冷静そうだった。

しかし、他のメイドたちはまだ若く、ちょうど恋愛に憧れる年頃だったので、先ほどの光景を目にして、まるで自分がキスされたかのように顔を赤らめ、胸をときめかせていた。

喬綿綿のことを、みんな羨ましがっていた。

坊ちゃまが若奥様と結婚したのは、彼女のことが好きだからじゃないって誰が言ったの？

坊ちゃまの様子を見れば、明らかに好きじゃない。

そうでなければ、思わず人前で若奥様にキスするはずがない。

ああ、若奥様は本当に幸せね。

坊ちゃまのような完璧な男性で、こんなに奥様を大切にする人は、探しても中々見つからないわ。

こんな男性と結婚できたら、人生は満たされるでしょうね。

墨夜司は李おじさんに喬綿綿をオーディションに送らせ、自分は車で会社に向かった。

40分後。

喬綿綿は予定より早くオーディション会場に到着した。

薑洛離はロビーで彼女を待っていて、彼女を見つけるとすぐに近づいてきた。

喬綿綿は、ロビーには他の会社の俳優たちもオーディションに来ていることに気づいた。

中には、最近人気が出てきた二線級、三線級の女優も何人かいた。

経歴や知名度で言えば、彼女は他の人の足元にも及ばなかった。