しかし関心がないからといって、彼が好奇心を持っていないというわけではない。
子供は幼い頃から父親に対して、説明のつかない畏敬の念と憧れを抱いているものだ。佑佑もかつてそんな幻想を抱いていた。
他の子供たちと同じように、家に帰れば、彼を守ってくれるパパとママがいて、仲睦まじく、温かい家庭を作っていることを、彼だってどれほど切望していたことか。
しかし、物心ついた頃から、彼が目にしてきたのは、ママが孤独で寂しく、家には頼りになる男性が一人もおらず、虐げられている姿だった。
あの時、公園で父親が息子と一緒にラジコンカーを見ていたのを目にした時、心の中でどれほど羨ましく思ったことか。
しかし、羨ましく思えば思うほど、手に入らないものだった。
やがて、父親に対する尊敬の念は、怨みへと変わっていった。今では父親という概念は、あってもなくてもいいものになっていた。