――真っ暗だ。
大城海は目を覚ましたが、見えるのはぼんやりとした黒い影だけだった。本能的にスマホを探そうとしたが、手に触れたのはザラザラした稲藁の敷物。嫌な予感が背筋を駆け上がる。
(……停電か?)
そう思いながらもう一度手を動かすが、硬い木の感触と、かすかに湿った布しかない。スマホどころか、布団すら違和感がある。
(……ちょっと待て。これ、どこだ?)
完全に目が覚めた。暗闇に目を凝らしながら、周囲の音に耳を澄ませる。虫の鳴き声、遠くから聞こえる波の音、そしてすぐ隣では誰かの寝息が聞こえる。
(まさか……野宿!?)
いや、違う。鼻をくすぐるのは、木と土の匂い、それに炭の残り香。完全に知っている世界とは違う――まるで時代劇のセットに迷い込んだような空気。
手探りで立ち上がろうとしたその時、足元に転がっていた何かを踏んでしまった。
「いったっ!」
低い子供の声。
驚いて飛び退いたが、その瞬間、背後の木の柱に頭をぶつけた。
「いてええええ!」
痛みで涙目になりながらも、ようやく目が暗闇に慣れてきた。見回すと、狭い木造の部屋に数人が寝ているのがわかった。
(……は? どこだここ?)
混乱する大城海をよそに、隣で寝ていたらしい少年――どうやら弟らしい――が文句を言いながら起き上がった。
「兄ちゃん、うるさい……」
(兄ちゃん!?)
混乱はさらに深まる。
大城海はゴツゴツした柱に背中をぶつけたまま、混乱した頭を抱えた。
(いや、ちょっと待て。兄ちゃん?弟?……ってことは、俺、兄貴なのか!?)
そんな馬鹿な、と思いながらも、目の前の少年――自分を「兄ちゃん」と呼んだ弟――の顔をまじまじと見つめた。ぼさぼさの髪、日に焼けた肌、大きな瞳。どこからどう見ても現代の日本の子供ではない。
「……兄ちゃん、具合悪いの?」
少年が不思議そうに見上げてくる。
「いや、なんでもない……」
とりあえず適当に答えてみたが、頭の中はパニック状態だった。
(落ち着け、俺。まずは状況を整理するんだ)
深呼吸して、周囲を見渡す。暗い部屋の中、布団のようなものが数枚並べられている。自分が寝ていたのもその一つだ。天井は低く、木の梁がむき出しになっている。壁も木造で、まるで古い時代の家屋のようだった。
(……というか、これは……沖縄の古民家?)
琉球時代の建築を紹介するテレビ番組で見たことがある。いや、そんな悠長なことを考えてる場合じゃない。
とにかく、ここは現代ではない。
そして自分は――どうやら「大城海」という人間として、この世界に存在しているらしい。
(クソッ……これは夢か? いや、妙にリアルすぎる……)
「兄ちゃん、母ちゃんが起きてるよ」
弟がそう言った瞬間、部屋の外から甲高い声が響いた。
「いつまで寝てるんだい!さっさと起きて働かんか!」
突然の怒鳴り声に、海の心臓が跳ね上がる。
ガラリと木戸が開き、薄暗い朝日が差し込んだ。その光の中に立っていたのは、痩せてはいるが鋭い目つきをした中年の女性だった。
――母親だ。
「まったく、朝からのんびりしやがって!女の子たちだって働いてるってのに、男がグズグズしてどうする!」
いきなりの説教に、海は言葉を失った。
(えっ、なにこの圧……)
何も言えずにいると、母親は舌打ちしながら手を振った。
「さっさと顔を洗って、飯を食うんだよ!」
そう言って、さっさと外へ出ていった。
海は弟と顔を見合わせる。弟は小さく肩をすくめ、何事もなかったかのように部屋を出ていく。
(と、とりあえず、俺も行くしかないか……)
外に出ると、朝日が眩しく目に飛び込んできた。家の前には簡素なかまどがあり、薪の燃える匂いが鼻をくすぐる。
すでに家族のほとんどが集まっていた。幼い妹がかまどの火加減を見ながら、小さな手で木の枝をくべている。少し離れた場所では母親が大皿を手にして何かをしていた。
「兄ちゃん、手を洗ったら早く座って!」
弟に急かされながら、海は桶の水で顔を洗う。冷たい水が肌を刺し、少しだけ頭がスッキリした。
食事は木の器に盛られたお粥と、小さな干し魚、そして青菜のおひたしらしきもの。量は少なく、見た目にも質素だ。
(……え、これだけ?)
「いただきます!」
家族が声をそろえて手を合わせ、食事が始まる。
海も慌てて「いただきます」と呟き、粥を口に運ぶ。米の粒は少なく、水っぽい。しかし、出汁のようなものが使われているのか、かすかに旨味がある。
干し魚は塩気が強く、少し硬い。それでも噛めば噛むほど味が広がった。
(……思ったより美味いな)
しかし、一方で――
母親の前には、自分たちとは違う食事が並べられていた。
(……ん?)
明らかに他の家族とは違う、豪華な膳。白米に、焼き魚、味噌汁、煮物らしきものまである。
(おいおいおい、なんで母ちゃんだけ!?)
海は思わず目を丸くするが、周囲の家族は誰もそれに触れない。
妹が少し寂しそうにお粥をすするのを見て、海はふと気づいた。
――これは、いつものことなんだ。
(……なるほどな。母親だけが贅沢な食事を取って、俺たちは最低限のものだけってわけか)
母親は涼しい顔で焼き魚を箸でつまみながら、ため息混じりに言う。
「まったく、あたしはお前たちを産むために血を流して死ぬ思いをしたんだよ。だから、これくらいの贅沢は許されるさね」
周りの家族は何も言わずにただ食事を続ける。
しかし、海はその言葉に、内心で「出たよ」と思わずにはいられなかった。
(なるほど、これが『恩を押し付けるタイプの親』ってやつか……)
今まで見たことのある「毒親」の特徴が、この母親には詰まっている気がする。
しかし――今の海に、反論する力はない。
(……仕方ない。今は耐えるしかないか)
目の前のお粥を見つめながら、海はそっと息を吐いた。