栗原愛南はこのとき井上斉子のことを考えていたため、少し上の空だった。
井上市川にそう呼ばれ、無意識のうちに足を止めた。
幸い森川北翔は素早く反応し、井上市川の視線を遮ったが、そうした後で、自分がこの動作を隠そうとしたこと自体が何かを物語っていることに気づいた。
森川北翔は無意識のうちに井上市川を見た。案の定、彼の目には濃い疑いの色が浮かんでいた。
栗原愛南も不適切さに気づき、その場で振り返ることもなく、そのまま車に乗り込んだ。
森川北翔は運転席に座り、車を発進させた。井上市川のそばを通り過ぎる時、栗原愛南は彼に一瞥をくれた。
車が井上家を離れた後、栗原愛南はようやく森川北翔に向かって言った。「彼は何か気づいたと思う?」
森川北翔は淡々と口を開いた。「おそらく何かを疑っているだろうが、証拠がないから、君を指摘することはできないはずだ」
栗原愛南は眉をひそめ、さらに何か言おうとしたが、森川北翔は彼女の考えを理解して言った。「安心して、井上市川は賢い人間だ。何かを発見したとしても、大騒ぎはしないだろう」
栗原愛南はうなずいた。
……
二人は南條家に戻らず、紀田家へ向かった。
今日は紀田杏結がウェディングドレスの試着をする日だった。
栗原愛南は彼女の親友として、当然一緒にドレスを選びに来なければならなかった。
車は駐車場に止まったが、森川北翔は運転席に座ったまま降りてこなかった。「君は行ってきて。僕はここで待っているよ。ついでに仕事の処理もしておく」
これは紀田家の人々と顔を合わせたくないという意味だった。
前回、紀田真里江が目の前にいながら、自分の息子を抑えられなかった様子を思い出し、栗原愛南は理解を示してうなずいた。
彼女は車を降り、紀田家に入った。
紀田杏結は今や紀田家で最も重要視される娘だった。彼女が入ってきても当然阻止されることはなく、そのまま紀田家の宴会場まで来た。
この宴会場はとても広く、今はウェディングドレスで一杯だった。各ブランドのマネージャーが自社のブランドの前に立ち、紀田杏結が選びに来るのを待っていた。
まるでウェディングドレスのショップを家に持ち込んだかのようだった。
栗原愛南はこの光景に驚いて、紀田杏結を見た。