第742章 どんな風が藤原社長を吹いてきたのか

高倉海鈴は少し躊躇して、「私には絵画の先生がいますので、新しい師匠は必要ありません」と言った。

佐藤おじいさまは執事に手を振り、執事は高倉海鈴にリストを渡した。「高倉さん、先生は何人でも構いません。このリストの中からお好きな方を選んでください」

高倉海鈴はそのリストに目を通した。どの一人を取り上げても絵画界を震撼させるような名前ばかりで、油絵の巨匠だけでなく、水彩画やデッサンの専門家も含まれていた。それぞれの分野で最高峰と言える人々だったが、佐藤おじいさまは彼女に自由に選ばせようとしていた。

少し迷った後、高倉海鈴は口を開いた。「おじいさまのご厚意に感謝いたします。ただ、私は幼い頃から祖父に油絵を習っており、既に個展も開いたことがあります。今では私なりの画風も確立していますので、新たに師事する必要はありません」

佐藤おじいさまの目に驚きの色が浮かび、その後少し感心したように高倉海鈴を見つめた。「高倉さん、個展を開いたことがあるのですか?」

高倉海鈴は頷いた。「フランスで開催しました」

佐藤おじいさまは執事と目を合わせた。フランスは芸術の国と呼ばれており、高倉海鈴が外国人画家としてそこで個展を開けたということは、彼女の実力の高さを証明していた。

彼はリストを見て、「それならば確かに先生は必要ないですね。伊藤仁美のことは...まあ、私の考えすぎでした」

高倉海鈴は満面の笑みで言った。「それでも、私のことを考えていただき、ありがとうございます」

佐藤おじいさまも思わず口元を緩めた。「私は年齢的にあなたの曾祖父になれますから、これからは曾おじいさまと呼んでください」

この佐藤おじいさまは厳格そうに見えたが、高倉海鈴は何となく親しみを感じていたので、甘く「曾おじいさま」と呼んだ。

執事は少し驚いた。おじいさまは先ほどまでもう少し調査が必要だと言っていたのに、10分も経たないうちに高倉海鈴に曾おじいさまと呼ばせるようになった。

誰もがそう呼べるわけではなく、佐藤家の血筋の者だけがそう呼ぶことができた。しかも、佐藤家の子孫は能力がなければならず、無能な者は最終的に家族から見放されることになる。

もし高倉さんが本当に伊藤仁美に勝てないのであれば、佐藤家の一員となる資格もないということになる。