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人生は平凡な人にとってのみ、空虚で味気ないものに見えるのだ。人生とは戦いである。
陳二狗は張兮兮に象牙は犬の口から出てこないと罵られたが、このような哲学的な深みのある二つの言葉は確かに陳二狗の創作ではない。前者はチェルヌイシェフスキーの名言で、後者はコロレンコの名句だ。これらを合わせて陳二狗の座右の銘としているが、かなり堅苦しく、張兮兮はおろか、小夭でさえ時代遅れだと感じるだろう。結局、今は「高尚さは高尚な者の墓碑銘、卑劣さは卑劣な者の通行証」といった風潮が蔓延る社会で、『鋼鉄はいかに鍛えられたか』のような本を真剣に受け止める若者はほとんどいない。
例えば、張兮兮のQQ署名は「己のためにせずんば天地も滅ぶ」で、梅ちゃんは「股下の一本の槍で、黃浦江を翻す」、小夭はやや普通で、最近両親と西塘古鎮に行ってきたため「小鎮の一江の煙雨、二人の指が描く」と書いている。もし陳二狗がQQをやっていたら、おそらく「運命の喉を掴む」といった言葉を署名にしただろう。
趙鯤鵬にアーチェリー場で完膚なきまでに打ちのめされたが、少なくとも梅ちゃんの目には、この東北のバッタは意気消沈することなく、スヌーカーも続け、弓矢も続け、酒も飲み、タバコも吸い、精神的な打たれ強さは肉体的なそれに劣らなかった。あの死人妖熊ちゃんは本当に陳二狗に更なる面倒を起こすつもりはないようで、これに梅ちゃんは内心ほっとした。陳二狗への敬服の念は増すばかりだったが、あの騒動で彼の心の中の演義的な幻想は完全に消え去った。この社会の底辺には隠れた達人はいないと確信し、いたとしても出会えないだろうと。世外の高人と義兄弟の契りを結び、共に天下を闖って最後に栄光を得るなんて、暇つぶしの妄想に過ぎない。梅ちゃんは自分の姿を見つめ直し、陳二狗とは友人として付き合う方が現実的だと感じた。兄弟になるのは遠慮したい。兄弟のために命を懸けるような義気は自分にはないと自認していたし、見栄を張る必要もなかった。