大賢の寶器、これは人を震え上がらせるに足る寶物だ。大賢者は、どの時代においても、風雲を巻き起こし、八荒を縦横無尽に駆け巡る存在であり、一代の大賢者となることは、容易なことではない。
一代の大賢者は、門派を開くことができるだけでなく、深い底蘊のある伝承を築き上げることもできる。
洗顏古派は帝兵を失ってしまったが、それでもなお三、五件の大賢寶器を持っており、これが洗顏古派最後の底力となっている。
多くの大教疆國にとって、大賢寶器、大賢の真器は、すでに教えを守り国を護る宝となっており、洗顏古派にもなお三、五件の大賢寶器があるのは、痩せ駱駝でも馬より大きいということだ。
普段、古鐵守は大賢寶器を軽々しく使うことはなく、前回烈戰侯に囲まれた時でさえ、大賢寶器を請うことはなかった。しかし、今回の魔背嶺行きは凶多吉少であるため、古鐵守は特別に大賢寶器を持ち出したのだ。
今日の洗顏古派にとって、「鵬六変」のような帝術も、大賢寶器も、門派に滅門の災いをもたらす可能性がある。このような物は、あまりにも人々の垂涎の的となるものだ!
以前は、古鐵守は帝術や大賢寶器を軽々しく使うことを恐れ、他人の嫉妬を避けていた。しかし今日、古鐵守は気勢荒々しく、まず帝術で威を示し、次いで大賢寶器で鎮威侯を打ち倒した。
大賢寶器が落ちかかる。古鐵守が大賢寶器の十分の力を発揮できなくとも、一撃の下、なお恐ろしいほどの威力を放つ。鎮威侯はとても防ぎきれず、骨の砕ける音が響き、その身は大地に激しく叩きつけられ、山峰を打ち砕いた。
この時、鎮威侯の血が大地を染め、大きな穴の中で横たわり、身動きすら困難な状態だった。この時点で死なないまでも、重傷で治療は難しい状態だった。
断崖全体が静寂に包まれ、誰もが息を潜めていた。大賢寶器が出れば、誰もが自分の力量を量らねばならない。ベテランの王侯が大賢寶器を振るって暴れ出せば、このような存在に対抗できる者は多くはない。
この時、古鐵守は大賢寶器を手に持ち、殺気漲り、威風堂々としていた。彼自身も心の中で快哉を叫ばずにはいられなかった。