932.彼女が悲しむのを見たくない

「はい、奥様」

松本裕司は何も聞かずに頷いて、藤堂澄人に向かって言った。「社長、私は先に失礼します」

松本裕司は出て行く際、病室のドアを閉めることも忘れなかった。

松本裕司が出て行った後、九条結衣は再び藤堂澄人を見つめた。先ほどの険しい表情と比べて、今の彼女の顔には真剣さと疲れが混ざっていた。

「澄人、私のことを覚えていなくても構わないわ。一生思い出せなくても構わない。でも、他の人のことは覚えているのに私のことだけ覚えていないなんて、ここが痛むの」

彼女は自分の胸を指さし、声は少し詰まっていた。

それに連れて、藤堂澄人の心も激しく痛んだ。

目の前のこの「怖い」女性が突然こんなに悲しそうな様子を見るのは、全く望んでいなかった。むしろ彼女が怖い顔で自分に接してくれた方がましだった。