「はい、奥様」
松本裕司は何も聞かずに頷いて、藤堂澄人に向かって言った。「社長、私は先に失礼します」
松本裕司は出て行く際、病室のドアを閉めることも忘れなかった。
松本裕司が出て行った後、九条結衣は再び藤堂澄人を見つめた。先ほどの険しい表情と比べて、今の彼女の顔には真剣さと疲れが混ざっていた。
「澄人、私のことを覚えていなくても構わないわ。一生思い出せなくても構わない。でも、他の人のことは覚えているのに私のことだけ覚えていないなんて、ここが痛むの」
彼女は自分の胸を指さし、声は少し詰まっていた。
それに連れて、藤堂澄人の心も激しく痛んだ。
目の前のこの「怖い」女性が突然こんなに悲しそうな様子を見るのは、全く望んでいなかった。むしろ彼女が怖い顔で自分に接してくれた方がましだった。
彼はこの見知らぬ顔を見つめ、必死に思い出そうとしたが、努力すればするほど頭の中は真っ白になり、何も思い出せなかった。
しかし、その心の痛みは確かに本物で、どこか懐かしいものだった。
彼は口を開こうとしたが、どこから説明すればいいのか分からなかった。
確かに木村靖子という女性のことは覚えていたし、山田叔母さんのことも覚えていた。しかし、この二人以外は本当に何も思い出せなかった。
九条結衣は彼が黙っているのを見て、最後には何も言わず、ただため息をついて言った。
「とりあえず帰国しましょう。あの環境に戻れば、何か思い出せるかもしれない」
藤堂澄人は何も言わず、ただ頷いた。
山田花江の怪我もほぼ治っていて、藤堂澄人が帰国を提案した時も驚かなかった。ただ頷いて言った。
「そうね、藤堂グループはあなたが戻って指揮を取る必要があるわ。お祖母様もあなたのことで病気になってしまったし、早く戻らないと、お年寄りも安心できないでしょう」
藤堂澄人は頷き、何かを考えた後、しばらく黙ってから尋ねた。
「山田叔母さん、九条結衣という人をどう思いますか?」
山田花江は最初驚いた表情を見せ、しばらく考えてから答えた。「実は、私は九条結衣のことをよく知らないの。知っていることと言えば、あなたから聞いた話だけよ」
藤堂澄人は黙って彼女を見つめ、続きを待った。
「私が知っているのは、あなたたちが五年前に離婚したこと、そして離婚後、あなたが四年間彼女を探し続けたということだけよ」