結城陽祐は自信満々に夏川清美の抱いている赤ちゃんを抱こうとした。
自分の子供なのだから、当然、面子は保たれるはずだった。
しかし……
「うわーん……」
結城陽祐が夏川清美から赤ちゃんを受け取った途端、小さな命の澄んだ泣き声が廊下中に響き渡った。
夏川清美は急いで赤ちゃんを抱き返した。
結城陽祐の端正な顔が様々な表情を見せた。
「先日、梶原先生が久美の健康診断をしたばかりですし、そう時間も経っていないので大きな問題はないはずです。今日は久美が驚いてしまったので、検査は別の日にしましょう」夏川清美は赤ちゃんを抱き直しながら、結城陽祐の琥珀色の瞳を見つめて淡々と言った。
提案のように聞こえたが、実際は強い態度だった。
彼女は医者として、久美が健康で、発育も良好なことを知っていた。昨日、結城陽祐が突然久美の健康診断を提案した時は気にも留めず、定期検査だと思っていた。
しかし道中の出来事で夏川清美は気付いた。結城陽祐が言う健康診断は単なる口実で、赤ちゃんを餌として使い、彼を狙う者を引き出そうとしていたのだ。
つまり、久美の健康診断は表向きの理由に過ぎなかった。
そうであれば、目的は達成されたのだから、赤ちゃんを無理に連れ回す必要はない。
結城陽祐は夏川清美の口調に含まれる強さと冷たさを感じ取り、ぽっちゃりくんが先ほどの衝突劇が事故ではないと気付いていることを悟った。
眉間にしわを寄せ、しばらく夏川清美を見つめた後、「わかった」と言った。
夏川清美が協力的でなければ、久美の健康診断も簡単にはいかないだろう。
結城陽祐の返事を聞いて、夏川清美も遠慮なく言った。「正陽様、久美のおむつを替えてきますので、下でお待ちください」
そう言うと、夏川清美はエレベーターホールに向かって歩き出した。
健二は夏川清美の後ろ姿を見ながら、不安そうに後頭部を掻いた。なんだか清美さんが怒っているように感じたのだが。
結城陽祐は夏川清美の後ろ姿を軽く見やり、先ほど赤ちゃんを抱いた時に偶然取れた夏川清美の髪の毛一本を梶原先生に渡した。「お手数ですが」
梶原先生は頷いた。「ご安心ください」
結城陽祐はそれからゆっくりと階下に向かった。