病院。
閑散とした静かな廊下で、トイレから悲痛な泣き声が漏れていた。
「くそっ、黙れ!あの売女と同じ目に遭いたいのか?!」あるキモオジの中年男が地面に縮こまる少女を蹴りつけ、顔が歪んでいるほど大声で罵った。
罵りの終わりとともに。
誰も気付かなかったうちに、トイレの中で気を失っていたもう一人の少女の硬直した指が、突然かすかに震えた。
頭が割れそうに痛い灰原優歌(はいばら ゆうか)は、次の瞬間、突然目を開け、まぶしい光が走った!
そして、彼女は自分が見知らぬ場所にいることに気付いた。
ここはどこ?
まさか、まだ死んでいないの?!
こんな不気味な出来事に遭遇したなんて、灰原優歌にとって初めてだ。
新しい環境にまだ慣れてないが、隣にいる院長が突然彼女の動きに気付いた。
「おや、まさかお前が目を覚ましたか」
肥満悪魔である院長の顔に陰湿な笑みを浮かべ、衣服がぼろぼろで体を覆い隠すことすらできない少女を地面に置いて、灰原優歌に向かって歩いてきた。
この灰原優歌の叫び声はね、他の誰よりも刺激的だったぜ。
灰原優歌はその言葉を聞き、この光景に不気味な既視感を覚え、心の中で大胆な推測が膨らんでいった。
「あなたは誰?」
「灰原優歌、まだ記憶喪失のふりをするつもりか?一昨日まで自分は柴田家のお嬢様だと言っていたじゃないか?手の込んだことだな!」
院長はへらへらと嘲笑したが、灰原優歌はその言葉を聞いて、表情がますます面白くなった。
なぜこの光景がこんなに馴染みがあるのかを、ようやくわかった。
これは以前、秘書が見せてくれた反社会的なラブストーリー小説の物語の展開じゃないか?
反社会的と言われる理由は、あの小説は確かに爽快な物語だが、ヒロインの柴田裕香(しばた ゆうか)の性格が報復的すぎるからだ。彼女に従わない者は、必ず身を滅ぼし名誉を失わなければならない。
そして、彼女と同じ身分を持つべきだったサブヒロインの灰原優歌は、物語の中で存在感が最も薄い人物で、孤児院で育ち、内向的で自閉的な性格だが、家族の愛情を極度に渇望している。
十七歳の時、灰原優歌は取り違えられた本当のお嬢様として柴田家に戻り、彼女はやっと三人の兄を得たと思っていたが、偽物のお嬢様が既に彼女の地位を奪っていた。
兄たちは優歌にすごく冷淡で、見向きもせず、柴田裕香だけを実の妹としてしか見ていない。
この二年間、灰原優歌は柴田裕香がいかに兄たちにお姫様のように可愛がっている様子を見てきた。だけど一方、自分は醜いアヒルの子で、柴田裕香には何一つ及ばなかった。それに、柴田裕香を妬み、彼女が自分の全てを奪ったと言ったことで、兄たちからさらに冷たい目で見られるようになった。
しかし、柴田裕香こそが恐ろしい存在だった。見た目は無邪気だが、毎日柴田家の兄たちを誘導し、灰原優歌が精神的に不安定で、偏執的で陰気だと暗に示唆していた。
今回灰原優歌が精神病院に送られたのも、柴田裕香が仕組んだことだ。「狂った」灰原優歌が自分を階段から突き落としたところをわざわざ兄たちに見せた。
結果的に灰原優歌を精神病院に送らざるを得なくなった。
しかし、予想外だったのは、これが完全なブラック病院で、院長は少女への猥褻行為を好んでいた。
それを思い返してみると、灰原優歌は笑いを抑えられなかった。
こんなヒロインでも「復讐のヒロイン」と呼ばれているなんて。
……
ストーリーを思い出し終えた灰原優歌は、現実を受け入れるしかなかったが、少しも慌てる様子はなかった。
彼女の掠れた声には、骨を刺すような冷たさが滲んでいた。「私の足、あなたの仕業なの?」
この突然の質問に、院長は一瞬戸惑ったが、すぐに陰険な冷笑を浮かべた。
「売女のくせに何偉そうなことを言う!まだ自分を柴田家のお嬢様だと思っているのか、自分が何者か分かっていないな?」
悪魔院長はそう言いながら、少女を引っ張ろうとしたが、まさか彼女がゆっくりと立ち上がった。
まるで痛みなど感じていないかのように。
「じゃあ、足一本を弁償してもらわないとね」
灰原優歌の表情は艶やかでありながら、冷酷さも漂っていた。
この読めない表情は背筋が凍るほど不気味だった。
院長はお化けでも見たかのように震え上がった。
目の前の少女は、あの臆病で自閉的な灰原優歌とは全く別人のようだった。
「どの足でいいか決めた?」
少女の言葉は死を宣告するようだったが、その瞬間、院長は我に返った!
お化けなんかじゃないぞ。
ただの小娘が見栄を張って、まさか自分が怖がるとでも?!
「俺を脅すつもりか?この野郎、どう懲らしめてやるか見てみろ!」
院長は怒りと恥ずかしさで顔を歪め、獰猛な襲い掛かりで灰原優歌に飛びかかった!