柴田の父は灰原優歌が去っていく姿を見つめ、口を開きかけたが、喉から声が出なかった。
両手を無力に握りしめた。
そのとき。
灰原優歌は人混みを抜け、数歩も歩かないうちに、突然立ち止まった。
緑の木陰の下に立つ男は、何気なくタバコを咥え、それだけでも雰囲気のある姿だった。
しかし次の瞬間。
男の視線が、彼女に逃げることなく注がれ、指の関節がはっきりとした手でタバコを下ろし、唇の端が軽薄に上がった。
冷たく淡い欲望を秘めた瞳が、今や彼女を見つめていた。
まるで憑かれたように。
灰原優歌は彼の方へ歩み寄り、思わず彼の喉仏にあるほくろに目が留まった。
なぜか触れてみたい衝動に駆られた。
その考えが頭の中を巡り終わる前に、優歌は自分の手がすでに宙に伸びていることに気づいた。
すぐに、灰原優歌は我に返り、手を引っ込めた。
しかし。
そのとき、男は物憂げに目を伏せて彼女を見つめ、その眼差しは黒くて見分けがつかないほどだった。
突然、優歌は頭上から、砂を含んだような磁性的な笑い声が聞こえ、それは少女の心を狙い撃ちにするかのように低く響いた。
避けようもなく、彼女の心臓は一拍抜けたように感じ、無意識に顔を上げた。
「お兄さん……」
同時に、久保時渡は突然手を伸ばし、彼女の手首を軽く握り、もう片方の手に挟んでいたタバコを無造作に捨てた。
灰原優歌が反応する間もなく、彼に手首を軽く引かれた。
一歩の速い動きで、彼女は冷たい香りが漂う抱擁の中に突っ込んでしまった。
「以前はお兄さんの抱擁が足りなかったのかな?ん?」
久保時渡は手のひらで彼女の後頭部を優しく撫で、怠惰で軽薄な声音で、艶めかしい優しさを込めて、彼女の耳元で風を立てた。
……
車に乗せられるまで、灰原優歌はようやく事の次第を理解した。
先ほど彼に手を伸ばした時、久保時渡は彼女が抱きつきたかったけど躊躇していたと誤解したのだろう。
しばらくして。
灰原優歌は後から気づいたように尋ねた、「お兄さん、さっき見てたの?」
「ああ。」
久保時渡は隠すこともなく、さほど気にする様子もなく淡々と答えた。
先ほど、彼は灰原優歌が柴田の父と少し離れた場所で話をしている様子を見ていた。また、彼が珍しく見る、少女が眉を寒々しく曇らせている姿だった。