浅野武樹のこめかみがズキズキと痛み、表情が冷たくなった。眼鏡を外して眉間をさすりながら、疲れを隠しきれない様子だった。
「美月、分かっているよ。小山千恵子が私の元妻だということが、気になっているんだろう。過去の感情のことは、君も千恵子も、私の記憶には存在しない。今は浅野グループのことで頭がいっぱいだ。こういうことで私の前に来ないでくれ」
桜井美月は心の中でほっとした。
来る前は、浅野武樹が問い詰めに来たのかと思っていた。
こう見ると、ただ状況を確認して、目撃者に説明するだけのことだったようだ。
彼女は優雅に近づき、浅野武樹の肩をマッサージしようと手を伸ばした。
「武樹さん、あなたの立場はよく分かっています。だから父にお願いして、浅野グループに来させてもらったのも、あなたと父の心配事を少しでも減らしたいと思ったからです…」
浅野武樹は体をずらし、桜井美月の手を避けた。その手は少し気まずそうにその場に止まり、不本意ながら大きな椅子の背もたれに置かれた。
浅野武樹は両手を組んで机に置き、振り返らなかった。
「このような結婚生活を続けるのは、お互いにとって公平ではない。美月、少し冷静になって、協議離婚しないか」
革張りの椅子の背もたれを桜井美月が急に強く掴み、きしむ音が鳴った。彼女は雷に打たれたような衝撃を受けた。
浅野武樹は何を言っているの?
離婚……
小山千恵子が戻ってきてわずかな時間で、目の前の男は離婚を切り出すなんて!
桜井美月は涙を流したが、目の奥に潜む悪意は隠しきれなかった。
幸い、男は背を向けていたので、その一瞬の毒々しさに気付かなかった。
「武樹さん、彼女のせい、小山千恵子が戻ってきたからですか?」
その名前を聞いて、浅野武樹は少しイライラし、反射的に否定した。「もちろん違う」
桜井美月の声は詰まり始め、数歩でデスクの反対側に回り、怒りと哀れみを込めて冷たい表情の男を見つめた。
「武樹さん、もしこれがあなたの意思なら、私は反対しません。でも健一郎のことは考えましたか?子供はどうするんですか?やっと父親がいることを知ったばかりなのに、私はとても…」
桜井美月は言葉を続けられず、唇を噛んで、涙が止まらなかった。
健一郎の話が出ると、浅野武樹の眉はさらに深くしわを寄せたが、目には一瞬の躊躇いが浮かんだ。