「奥様、失礼いたします。藤田社長の機器を調整させていただきます」
鈴木之恵は先月の請求書を確認したばかりで、まだ下書きを始めていなかった。柏木秘書の「奥様」という言葉に、無限の思い出が蘇った。
「柏木秘書、これからは呼び方を変えてください。私は藤田社長とは既に離婚しています」
柏木正は頭を掻きながら、気まずそうに笑って、
「はい、奥様」
鈴木之恵は呆れた。
二人がこれからの呼び方について話し合う前に、藤田深志が眼鏡をかけて部屋に入ってきた。
鈴木之恵は彼が以前は近視ではなかったことを覚えていて、眼鏡をかけているのを見るのは初めてだった。それによって彼の持つ鋭さが和らぎ、随分と物腰の柔らかな印象になっていた。
藤田深志はテレビの正面に座り、両手を組んで机の上に置いた。
会社にはもう一つマルチメディア会議室があるのに、彼らはわざわざこちらに来た。鈴木之恵には、これが柏木正の意図的な行動なのか、それとも藤田深志の指示なのか分からなかったが、とにかく今この二人を合わせると八百の策略があるように感じた。
「なぜここに来なければならないの?」
藤田深志は顔を向けて、無邪気な表情で彼女を見つめ、
「之恵、15分ほどで終わるよ」
柏木正は干笑いして、
「奥様、私はここの設備に詳しくなくて、この部屋にプロジェクターがあるのを見つけただけです。申し訳ありません」
鈴木之恵は「奥様」という言葉を聞いて白眼を向けると、柏木正は自分の口を叩いて、
「私の記憶の悪さときたら、奥様、次回は必ず覚えておきます!」
鈴木之恵は鶏と鴨の会話をしているような感覚になり、立ち上がって机の上の自分の物を片付け始めた。あちこちに散らばった物を整理している間に、柏木正はビデオ通話の接続を完了させた。
画面には各部門の管理職が映し出された。
鈴木之恵はどんなに避けようとしても、彼らに影が見えてしまった。
向こう側にいる古参の社員たちは鈴木之恵を知っていた。皆が互いに顔を見合わせた後、次の瞬間、命知らずの大胆な質問が飛び出した。
「社長、今見えたのは奥様でしょうか?」
藤田深志は今日は特に機嫌が良さそうで、
「目が良いですね。挨拶でもしたらどうですか」