電子ブザーが空気を切り裂いた刹那、刃蓮は弾丸のように飛び出していた。九古明が後ろへ反り、素拳をかわす。懐中時計鎖が少年の耳朶を掠め、鏡面に銀河のような光の軌跡を刻む。
「遅すぎる」首席の革靴先が床を蹴り、無数の鏡面反射で十二の残像に分裂する。「突進角度3.7度の誤差、呼吸リズム四度の乱れ」
刃蓮の拳が虚像を貫き日時計を直撃、絡値が急落して【72】に。鏡に映る汗まみれの額に、九古明の本体は十メートル上方の星環に現れる。金唐草の懐中時計が少年の醜態を映す。
「残り二分十七秒」蝶野の声に慵い欠伸が混じる。浮遊ティーテーブルのパンケーキが自らジャムを塗り広げる。「中休みする?カワイイさん」
刃蓮が突然しゃがみこんで掃堂腿を放つ。鏡の破片が刃の如く飛散。九古明が跳躍した瞬間、少年は日時計の針を蹴り天高く舞う。燃える紋章が360度の鏡面に光の雨を降らせる。首席が嗤いながら体を捻るが、光斑が突然火網に集合する。
「賢い」袖口に焦げ跡が残り、絡値が初めて【97】に低下。「だが鏡面屈折の演算負荷は...」
刃蓮の手甲数値が急降下して【58】、よろめき片膝をつく。現実の医療タンクから血が滲み始め、霧島響の青銅鈴が甲高く鳴る。
「現実世界の心拍残り四十五秒よ」蝶野が銀フォークでパンケーキのクリーム泡を潰す。「ついでに九くんの絡値回復速度は秒速0.5ポイント」
鏡面天蓋に赤い逆秒表示が点滅。刃蓮が瞼の血を拭い、全ての鏡に映る九古明の背後に半透明の砂時計――相手の絡値可視化投影を発見する。
懐中時計鎖が再び毒蛇の如く襲来した時、少年は意図的に肩で衝撃を受ける。鎖が肉を貫く激痛の中、鎖体に掴まり宙転回。燃える紋章が鏡面迷宮にメビウス輪状の火痕を描く。
「残り十秒」九古明の声に初めて称賛の色が混じる。「だが自傷戦術では...」
言葉が途切れる。刃蓮の姿が突然十八枚の鏡面に同時出現、各分身が異なる攻撃軌道を取る。首席の瞳孔が収縮、金唐草時計に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、十二重の時の砂防壁が瞬時に形成される。
その刹那、全ての鏡像が消散。真の少年が首席背後虚空から落下、右手紋章が未だ見ぬ妖しい紫光を迸らせる。九古明が振り返り防御する瞬間、紫焔が時の砂障壁を貫通し、首筋に髪の毛ほどの血痕を残した。
「タイムアップ~」蝶野が銀フォークを鳴らし、鏡面世界がピクセル化して崩壊。「見事な終盤逆転劇だったわ」
医療タンクの警報音が現実周波数に戻る。九古明が首筋の血玉を撫で、金唐草時計に不自然な焦げ跡が残る:「最後の技...どこで覚えた?」
「わからない」刃蓮が溢れた修復液に崩れ落ち、右手紋章は鈍い金色に戻る。誰も気付かない紫焔の残灰が血管に染み込み、網膜に一瞬の古代呪文を焼き付ける。
風船ガム少年が突然モニターを指差す:「神骸共鳴率が臨界突破!」
九古明がデータの奔流を走査し、刃蓮の手首を掴む。紫焔に焼かれた皮膚下で、オタマジャクシ状の影が血管を泳いでいる:「明日の雷門廃墟の前に、一緒に場所に行く」
「待って!」霧島響が進路を遮る。「約束したでしょう...」
「ちゃんと守るさ」首席が襟元を開け、歯車状の赤い疵を露わにする。「新人に傷つけられた老体のメンツ、立てさせてね」懐中時計鎖で刃蓮の腰を巻き上げる。「禁書庫への道中、最後の技の原理を説明してもらおうか」
一同が去った後、蝶野がひび割れた紫水晶ピアスを撫でる。ホログラム再生画面で、時の砂を貫いた紫焔がスローモーションで鳳凰の羽ばたきを描いていた。
「嵐が来るわね~」指先のクリームを舐めつつ、無記名端末へ暗号化警報を送信。