第276章 誰かが逃げるのを恐れて

林知恵はバーを出てすぐに私立病院へ向かった。

病室に入るとすぐに、山下穂子は携帯電話を白い壁に投げつけた。

パンという音とともに、携帯の画面は粉々に割れた。

山下穂子はベッドで頭を抱えて身をよじり、音を聞いて顔を上げると、血走った涙目を見せた。

明らかに、彼女は宮本石彦とのビデオ通話で平気なふりをした直後、誰かに脅されたのだ。

山下穂子は林知恵を見ると、抑えきれずに涙を流し、完璧だったメイクが台無しになった。

わずか三、四日のうちに、彼女はすでに頬がこけるほど憔悴していた。

これが宮本深の言う「お母さんはもう大丈夫だ」の実態だった。

林知恵は前に出て山下穂子を抱きしめた。「お母さん、怖がらないで。この屈辱は無駄にはしないわ」

山下穂子はすすり泣き、林知恵の胸にもたれて震えていた。

夜中になってようやく、林知恵は山下穂子を落ち着かせて眠らせることができた。

彼女は静かに病室を出て、疲れた様子で廊下の白い壁にもたれかかった。

ため息をつきながら顔を上げると、突然頬が熱くなった。

林知恵は頬に手を当てて振り向き、目の前に現れた人を驚いて見つめた。

「桑田社長?どうしてここに?」

桑田剛は林知恵の顔色を見て眉をひそめ、牛乳を開けて彼女の手に渡した。

「まずは何か飲みなさい。顔色が悪すぎる」

林知恵の手のひらに温かさが広がり、全身に徐々に感覚が戻ってきたようだった。

彼女はうなずいた。「ありがとう」

桑田剛はそのまま上着を脱いで彼女の肩にかけ、考え深げに言った。「たった二日出張しただけなのに、誰かさんは黙って結婚しようとしていたんだね」

林知恵は驚いた。「どうして知ってるの?」

「蘭子が教えてくれた。一日に三回も電話してきて、ある人が逃げないか心配していたよ」

話しながら、桑田剛は真剣な眼差しで林知恵を見つめていた。

林知恵は牛乳のストローを噛みながら、彼と目を合わせる勇気がなかった。

桑田剛は低い声で言った。「知恵、君を強制するつもりはないよ。何か問題があるんだろう?話してくれないか?」

その言葉を聞いて、林知恵の口の中の牛乳が苦く感じられた。

渡辺青葉は桑田剛の叔母で、育ての恩もある。こんなことを彼に話しても、相手を困らせるだけだ。

よく考えた末、彼女は何も言わなかった。