第181章

「待たないで、早く行って」

冷泉辰彦が追いかけてきて、車のドアを強く叩いた。「井上千雪、早く降りろ、聞こえないのか？早く降りろ……」その目は、彼女を引き裂きそうなほど鋭かった。

タクシーはどんどん速度を上げ、彼を後ろに置き去りにしていった。

バックミラーに映る彼はまだ走っていた。短い髪が風になびき、立体的で端正な男性の顔には焦りが満ちていた。彼は彼女の名前を呼び続け、長い脚で大股に歩き、アメリカヒョウのように敏捷だったが、タクシーに追いつけないことに慌てていた。

彼女は頭を反対側に向け、山の向こう側を見つめた。夕焼けが少しずつ闇に飲み込まれていき、悲しいほど美しかった。

その後、彼女の携帯が鳴った。則安からだった。

「則安」彼女は電話に出た。

「千雪、やっと電源入れたんだね。今、関西空港にいるんだ。もうすぐ飛行機に乗るよ。どこにいるか教えて？」

「則安、来なくていいわ。私は帰る途中よ」

「冷泉辰彦は？」

「彼は別の女性と一緒にいるわ」サイドミラーには、もう彼の追いかける姿は見えなかった。

「今から飛行機に乗るから、絶対に待っていてね。じゃあ、もう話せないから、搭乗するよ。バイ！」

「則安、実は来なくても……バイ！」向こうはもう切れていた。

電話を切ると、彼女は頭を車の窓に斜めに寄せ、窓ガラスを開けた。

冷たい風が入ってきて、彼女の長い髪を乱し、心も冷やした。

今は離れたけれど、心の中のあの不安な気持ちが誰のためのものなのか、彼女にはわかっていた。結局、彼女は割り切れる人間ではなく、どんなに決意を口にしても、すっきりと手放すことはできなかった。

この男性を忘れるのに、いったいどれだけの時間が必要なのか、本当に彼を手放せるのかどうかもわからなかった。

山風はまだ荒れ狂い、彼女の心はだんだんと空洞になっていった。彼女は実は、彼を手放したくなかった。

「ケンカしたの？」前の席の運転手が沈黙を破り、バックミラー越しに彼女を見た。「さっきは僕があなたたちを山に連れて行ったんだよ。忘れた？これも縁だね、へへ」

「あ、そうなの？」彼女は実はこの運転手の印象がなかった。あの時、彼女はずっとあの男に腹を立てていて、周りの人や物に注意を払う余裕がなかったのだ。

ただ、この異国の運転手は親切そうな人だった。