卓田越彦は何も言わなかったが、自分の身内ではなく、その身分もとても怪しいため、どうしても安心できなかった。
「行こう、家に帰ろう」
卓田越彦は所有権を主張するかのように、ずっと鈴木音夢の手を引いて会社を出た。
今や、卓田家の全体で、社長が若奥様をどれほど愛しているか知らない者はいなかった。
以前は、社長が女性の手を引くなど見たことがなく、会社全体で社長の1メートル以内に近づける人は誰一人いなかった。
若奥様ができてからは、社長の付き合いは可能な限り避けるようになった。
彼らが皆去った後、井上菜々は静かに出てきた。
古田静雄が失望して去る表情を、彼女はすべて見ていた。
井上菜々も心の中で疑問に思っていた。あの人は本当に林浅香ではないのか?
もしかして、彼女は海外にいた時に記憶喪失になって、国内のことを忘れてしまったのだろうか?