「なあ、それマジでバカすぎるだろ。」
「はあ!?俺に何を言わせたかったんだよ!?」真(まこと)・白川(しらかわ)が怒鳴りながら、ぐしゃぐしゃな髪をさらにかき乱した。「告白されたんだぞ!?それで、俺、パニクっちゃって――で、とっさに『じゃあ、うち来る?』とか言っちゃったんだよ!バカか俺は!」
友人の秋高(あきたか)・一(はじめ)は眉をひそめて、笑いをこらえるようにゆっくり息を吐いた。
「マジかよ……お前んち、あの親父さんいるだろ?想像できる?あの人が場をどれだけ気まずくするか。ガチで地獄だぞ。」
「ん゛~~~っ……」真は呻きながら肩を落とした。
――ちょっとここで、話を一時停止しよう。この痛ましい社交的惨事の続きに進む前に、まずは登場人物の紹介をしておこう。
白川真(しらかわ・まこと)。彼はまさに「完璧に設計されたバカ」の教科書的存在だ。成績優秀、顔もいい、友達も多い――それなのに、恋愛に関しては毎回、何かしらやらかす天才。で、今まさに彼は、見事に自分で作り上げたジレンマの真ん中に立っている。
「じゃあね、真くん!」
笑顔をふりまきながら、笑美(えみ)が校庭で手を振った。
「う、うん!バイバイ、笑美ちゃん!あ、でもさ……」真は苦笑いしながら続けた。「歴史のテスト、やばそうじゃない?俺、たぶん死ぬかも……はは、あー……」
――バカ。そんな笑い方すんなって……!
内心で自分にツッコミを入れる。
笑美が振り返り、首をかしげた。「そうなんだ?んー……ねぇ、私ちょっと時間あるから、もしよかったら一緒に勉強する?」
「えっ、マジで!?」
声が裏返った。
「うん、よかったら――」
「はい!いや、あの、えっと……そ、その……七時に、うちとか、どうかな!?」
「うん、いいよ。」
またあの笑顔だ。
「そして今――」真は顔を手で覆いながら言った。「人生で一番恥ずかしい瞬間が、もうすぐやってくるんだ……」
「大丈夫だって。」一は励ますように言った。「落ち着けって。お前なら、どうにかなるって。」
その最後の一言は、小さすぎて真には聞こえなかった。でも一は、本気でそう思っていた。いつだって、そう思っていた。
――リンリン。
「うわ、やべっ!」
真は携帯を見て目を見開いた。「テツオと約束してたの忘れてた!くっそ、時間ねえ!じゃ、ありがとな!お前、マジで助かった!」
「……うん。じゃあね。」
一の声は小さく消えた。
真はリュックを揺らしながら走り去っていった。その後ろ姿を、静かに見送る一人の少年がいたことに、彼は気づかなかった――。
秋高一(あきたか・はじめ)。
彼について語れることがあるとすれば――まあ、あまりない。
成績はそこそこ。たまに特定の科目でいい点を取るくらい。
髪は茶がかった黒で、ちょっと伸ばしすぎ。
痩せすぎでもなく、太ってもない。
友達も、まあ、いるにはいる。話すし、笑うし、たまに一緒に遊んだりもする。
でも、結局のところ――彼はただの「背景」だった。
「ああ、いたね、そんなやつ」くらいの存在。
名前すら思い出せない、そんな感じ。
……ただ、両親だけは違った。彼のことを、ちゃんと覚えていた。忘れられなかった。忘れるわけがなかった。
「……また行っちゃったな。」
人混みに消えていく真を見ながら、一は小さくつぶやいた。
「アイツの人生、絶対面白いよな。はは。」
ふうっとため息をついて、スマホを取り出す。
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通知ばっか。
「……はいはい。今日も徒歩か。」
タップ、タップ、タップ、タップ。
賑やかな街の喧騒が、一の静かな思考を押し流していく。
誰にも気づかれず、誰とも交わらず。
「そういえば……笑美ちゃん来たら、真、絶対テンパるよな。間違いないって。」
「……俺が代わりに勉強みてやるとか、そういうの、できたのかな。ただの勉強だし、別に変じゃないよな。」
「……もし俺が、真の兄貴だったら、どんな感じなんだろうな。ああいう時、助けてやるのが兄貴ってやつなんだろ?……たぶん。いや、知らないけど。ひとりっ子だし。でも……うん、きっとそうだ。」
「……」
「うわあああ!!何考えてんだ俺!?キモッ!」
タップ、タップ、タップ。
「……俺もさ……誰かに“親友”って思われてみたいな。たった一度でいいから。……ふっ。」
ブオオォ――
まばゆい光と、エンジンの轟音が思考を引き裂いた。
「えっ?な、なに――!?」
トラックが猛スピードでこちらに向かってくる。
身体が動かない。時間が止まったようだった。
――あれ?
……俺、死ぬのかな?
そのことだけが頭に浮かんだ。
目の前のライトがまっすぐ自分を照らしていた。
けれど次の瞬間――
考えるより先に、体が勝手に動いていた。
ギリギリで跳ねるように飛びのいて、歩道に転がる。
激しく胸が上下する。
「はっ……はあっ……くっそ!」
笑いが込み上げてきた。
震えながら、息を切らしながら。
たぶん、ただのパニックだったのだろう。
「今のは……マジで最悪……」
「……あぶねー。異世界転生するところだったわ、マジで。」
一は苦笑いを浮かべながら立ち上がり、ズボンのほこりを払った。
「さて……帰るか。」
夜の街灯がまばらに灯る中、長い道のりを歩いて、ようやく一(はじめ)は家にたどり着いた。
大きなあくびをしながら玄関で靴を脱ぎ、ぼそっとつぶやいた。
「ただいま……」
…
…
…
…
「……誰もいない。」
…
…
…
「誰もいないっ!!ってことは、好き放題できるじゃん!!」
社交的な引きこもりという奇妙な肩書きを持つ彼にとって、両親が仕事でいない時間――つまり家を独り占めできるこの瞬間こそが、一日の中で最高の時間だった。
いつものように、適当に食べ物を取り、ゲームをし、人目を気にせずに歌う。……え、それって普通?
まあ、判断は君に任せよう。
「はあ、もう……『マスター・ブランド』終わってから、何やればいいかわかんねぇ……」
ゲーム一覧をスクロールする。
「……ダメだ、どれもやる気しない。これもうクリア済みだし……誰かオンラインいるかな?」
……
「……誰もいねぇ。いや、ほぼ誰も……はあ、つまんね。」
ぐうぅ……
腹が鳴った。
「腹減った……なんか食うか。」
だるそうに足を引きずりながら階段を降り、キッチンへと向かう。
しかしその途中で――
「あ゛っ……物理の宿題……」
足を止めて、肩をすくめた。
「……まあいっか。明日で。今日はやる気出ねーし。なんか、変な感じするし……寒い……?」
冷や汗を拭きながら、パントリーを開ける。
「なんか、フラフラする……」
視界がぼやけ始める中、どうにかして何か食べられそうなものを探し続けた。
「……親父、買い出し行ってねーのかよ。ろくなもんねぇし……」
息が荒くなる。
頭がグラグラしながら、クッキーの箱に手を伸ばす。
「……うっ……」
階段へ戻ろうと身体を回したその瞬間――
「あっ……あ、ああああああああああ――ッ!!」
床に崩れ落ちた。
皮膚が裂けて、そして縫い合わされるような、そんな感覚。
体中の細胞が引き裂かれ、再構築され、また引き裂かれ――何度も何度も。
その痛みは、まるで津波のように彼を押し潰し、息を奪い、理性を奪った。
最初は、皮膚の下に炎が灯ったような熱。
しかし次に来たのは――鋭く、裂くような激痛。
見えない爪が四肢を、胸を、背中を引き裂き、内側がむき出しにされる感覚。
全ての神経が、狂ったように悲鳴を上げた。
冷たいタイルの床の上で身体が激しく痙攣する。
指先が勝手に動き、圧力が全身に満ちていく。
肋骨が軋み、背骨が引き伸ばされ、逆に縮んでいく。
顎は痛むほど食いしばっても、喉から漏れる悲鳴を止めることはできなかった。
汗が滝のように顔を流れ、唇からは唾液が滴る。
呼吸もままならない。肺が押しつぶされたように苦しい。
頭が割れそうだ――いや、実際に割れているんじゃないかと錯覚するほどの激痛。
骨の下に、"何か別のもの"が目覚めようとしているような、そんな不吉な感覚。
一は自分の腕を、胸を引っ掻いた。
原因を探し、終わらせようとした。
でも、何もなかった――血も、傷も、何ひとつ。
なのに、彼の身体は今まさに、崩され、作り直されていた。
「く、くるしいっ!誰かっ!助けてっ!お願い、誰か――!」
圧迫感がさらに増し、視界は光と色の粒に砕けていく。
耳には不気味なノイズが鳴り響き、あらゆる思考も、音も、すべてをかき消した。
そして、最後の――
本当に最後の、耐えがたい瞬間。
すべてが、砕け散った。
沈黙。
闇。
落ちていく感覚。
……落ちてる?
そう――彼は、落ちていた。
落ちて、落ちて、
――ドボンッ!!
冷たい水が肌を叩きつけるように襲いかかり、神経が一気に覚醒する。
「み、水……っ!?」
どうにかして水面まで浮かび上がることに成功した――が、問題はそこじゃなかった。
「な、なにこれっ!?ちょっ、誰かーっ!!お、俺、泳げないんだけど!?!」
「助けてっ!!誰か、お願いっ!!」
四肢をバタバタと動かし、水しぶきが四方に飛ぶ。
必死の動きは、生存本能によるものだった――だが、それだけでは足りなかった。
腕は力が入らず、脚も思うように動かない。
焦るほどに身体は沈んでいき、水は彼を飲み込んでいく。
誰も来なかった。
遥か遠くまで続く水平線。
空っぽで、冷たくて、何も答えてくれない。
波は静かに、だが確実に彼を覆い、叫びを、恐怖を、絶望を――すべてを飲み込んでいった。
「このまま……溺れて死ぬのか……? な、なんでだよ……何が起きてるんだ……!?」
思考が暴走し、暗く、混乱し、波よりも速く彼の中を駆け巡る。
「俺、何か意味のあることしたか……? 何も残せずに死ぬのかよ……俺って、ただの……無価値な存在だったのか?」
「死にたくない……っ……お母さん……死にたくないよ……」
――沈んでいく。
身体はもう限界だった。
疲労と重力と、海の底からの引力に逆らえず、彼は全てを委ねた。
だが意識だけは残っていた。
涙を流しながら、それでも生きようと願っていた。
けれどその涙も、海がすべて隠してしまった。
静寂の中、彼は深く、さらに深く、闇の底へと沈んでいく――
――その時。
手が。
冷たい指が、彼の手首を掴んだ。
力強く、それでいてまるで苦もなく、彼を引き上げていく。
「……っは……! がっ……けほっ……うっ……!」
肺が焼けつくように痛み、口から水を吐き出しながら激しく咳き込む。
どうにか呼吸を取り戻しながら、混乱した頭で考える。
「……い、生きてる……? なんで……?」
目が霞む中、彼を救った人物の背中が見えた。
白い髪。乱れたまま、風に揺れる。
まるで雪の糸が夜に溶け込むような、幻想的な白――アニメから飛び出してきたような姿。
「……生きてる? 本当に、生きてるのか……?」
救い主は彼のつぶやきを無視するように、片手で軽々と彼を引っ張っていく。
やがて、その人物がちらりと顔を向けた。
「生きてるんなら、いつまでも同じこと繰り返すのやめてくんない? ……はあ、せっかくやっと覚悟決めたところだったのにさぁ、お前のせいで台無しだよ。……だから、感謝しろよな?」
その声は冷たく、鋭かったが、どこか本気では怒っていないような、不思議な温度だった。
「わ、わかりました……っす……」
一の声はかすれ、心も身体もすでに限界を超えていた。
(覚悟? なにそれ……何のこと?)
その意味を考える余裕もないまま、ようやく岸にたどり着き、彼はずぶ濡れのまま砂に崩れ落ちた。
咳き込みながら肺の中の水を吐き出し、荒い呼吸の合間に、手で砂をつかみ、現実の感触を求める。
「はっ……はぁっ……ゲホッ……ここは……どこ……?」
「大丈夫か?」
再び、その声が聞こえた。
「……えっ?」
ゆっくりと顔を上げる。
助けてくれたその人物は、彼と同じくらいの年齢に見えた。だが――どこかが、違う。
風に揺れる、白くて乱れた髪。
少年とは思えないほど、静かで、研ぎ澄まされた雰囲気。
だが――彼の動きを完全に止めたのは、その「目」だった。
真紅。
まばたきひとつせず、まっすぐに見据えてくる。
好奇心。
不気味さ。
理解できない何か。
そこには、普通じゃない“何か”があった。
ぞくり、と背筋を冷たいものが走る。
体が勝手に強張る。
逃げたいのに、逃げられない。
「……な、んだ……今の目……?」
その場に立ち尽くしたまま、ハジメは言葉を失った。