第1話 『世界が終わった後、僕の人生が始まった』

「なあ、それマジでバカすぎるだろ。」

「はあ!?俺に何を言わせたかったんだよ!?」真(まこと)・白川(しらかわ)が怒鳴りながら、ぐしゃぐしゃな髪をさらにかき乱した。「告白されたんだぞ!?それで、俺、パニクっちゃって――で、とっさに『じゃあ、うち来る?』とか言っちゃったんだよ!バカか俺は!」

友人の秋高(あきたか)・一(はじめ)は眉をひそめて、笑いをこらえるようにゆっくり息を吐いた。

「マジかよ……お前んち、あの親父さんいるだろ?想像できる?あの人が場をどれだけ気まずくするか。ガチで地獄だぞ。」

「ん゛~~~っ……」真は呻きながら肩を落とした。

――ちょっとここで、話を一時停止しよう。この痛ましい社交的惨事の続きに進む前に、まずは登場人物の紹介をしておこう。

白川真(しらかわ・まこと)。彼はまさに「完璧に設計されたバカ」の教科書的存在だ。成績優秀、顔もいい、友達も多い――それなのに、恋愛に関しては毎回、何かしらやらかす天才。で、今まさに彼は、見事に自分で作り上げたジレンマの真ん中に立っている。

「じゃあね、真くん!」

笑顔をふりまきながら、笑美(えみ)が校庭で手を振った。

「う、うん!バイバイ、笑美ちゃん!あ、でもさ……」真は苦笑いしながら続けた。「歴史のテスト、やばそうじゃない?俺、たぶん死ぬかも……はは、あー……」

――バカ。そんな笑い方すんなって……!

内心で自分にツッコミを入れる。

笑美が振り返り、首をかしげた。「そうなんだ?んー……ねぇ、私ちょっと時間あるから、もしよかったら一緒に勉強する?」

「えっ、マジで!?」

声が裏返った。

「うん、よかったら――」

「はい!いや、あの、えっと……そ、その……七時に、うちとか、どうかな!?」

「うん、いいよ。」

またあの笑顔だ。

「そして今――」真は顔を手で覆いながら言った。「人生で一番恥ずかしい瞬間が、もうすぐやってくるんだ……」

「大丈夫だって。」一は励ますように言った。「落ち着けって。お前なら、どうにかなるって。」

その最後の一言は、小さすぎて真には聞こえなかった。でも一は、本気でそう思っていた。いつだって、そう思っていた。

――リンリン。

「うわ、やべっ!」

真は携帯を見て目を見開いた。「テツオと約束してたの忘れてた!くっそ、時間ねえ!じゃ、ありがとな!お前、マジで助かった!」

「……うん。じゃあね。」

一の声は小さく消えた。

真はリュックを揺らしながら走り去っていった。その後ろ姿を、静かに見送る一人の少年がいたことに、彼は気づかなかった――。

秋高一(あきたか・はじめ)。

彼について語れることがあるとすれば――まあ、あまりない。

成績はそこそこ。たまに特定の科目でいい点を取るくらい。

髪は茶がかった黒で、ちょっと伸ばしすぎ。

痩せすぎでもなく、太ってもない。

友達も、まあ、いるにはいる。話すし、笑うし、たまに一緒に遊んだりもする。

でも、結局のところ――彼はただの「背景」だった。

「ああ、いたね、そんなやつ」くらいの存在。

名前すら思い出せない、そんな感じ。

……ただ、両親だけは違った。彼のことを、ちゃんと覚えていた。忘れられなかった。忘れるわけがなかった。

「……また行っちゃったな。」

人混みに消えていく真を見ながら、一は小さくつぶやいた。

「アイツの人生、絶対面白いよな。はは。」

ふうっとため息をついて、スマホを取り出す。

新着メッセージ:0件。

通知ばっか。

「……はいはい。今日も徒歩か。」

タップ、タップ、タップ、タップ。

賑やかな街の喧騒が、一の静かな思考を押し流していく。

誰にも気づかれず、誰とも交わらず。

「そういえば……笑美ちゃん来たら、真、絶対テンパるよな。間違いないって。」

「……俺が代わりに勉強みてやるとか、そういうの、できたのかな。ただの勉強だし、別に変じゃないよな。」

「……もし俺が、真の兄貴だったら、どんな感じなんだろうな。ああいう時、助けてやるのが兄貴ってやつなんだろ?……たぶん。いや、知らないけど。ひとりっ子だし。でも……うん、きっとそうだ。」

「……」

「うわあああ!!何考えてんだ俺!?キモッ!」

タップ、タップ、タップ。

「……俺もさ……誰かに“親友”って思われてみたいな。たった一度でいいから。……ふっ。」

ブオオォ――

まばゆい光と、エンジンの轟音が思考を引き裂いた。

「えっ?な、なに――!?」

トラックが猛スピードでこちらに向かってくる。

身体が動かない。時間が止まったようだった。

――あれ?

……俺、死ぬのかな?

そのことだけが頭に浮かんだ。

目の前のライトがまっすぐ自分を照らしていた。

けれど次の瞬間――

考えるより先に、体が勝手に動いていた。

ギリギリで跳ねるように飛びのいて、歩道に転がる。

激しく胸が上下する。

「はっ……はあっ……くっそ!」

笑いが込み上げてきた。

震えながら、息を切らしながら。

たぶん、ただのパニックだったのだろう。

「今のは……マジで最悪……」

「……あぶねー。異世界転生するところだったわ、マジで。」

一は苦笑いを浮かべながら立ち上がり、ズボンのほこりを払った。

「さて……帰るか。」

夜の街灯がまばらに灯る中、長い道のりを歩いて、ようやく一(はじめ)は家にたどり着いた。

大きなあくびをしながら玄関で靴を脱ぎ、ぼそっとつぶやいた。

「ただいま……」

「……誰もいない。」

「誰もいないっ!!ってことは、好き放題できるじゃん!!」

社交的な引きこもりという奇妙な肩書きを持つ彼にとって、両親が仕事でいない時間――つまり家を独り占めできるこの瞬間こそが、一日の中で最高の時間だった。

いつものように、適当に食べ物を取り、ゲームをし、人目を気にせずに歌う。……え、それって普通?

まあ、判断は君に任せよう。

「はあ、もう……『マスター・ブランド』終わってから、何やればいいかわかんねぇ……」

ゲーム一覧をスクロールする。

「……ダメだ、どれもやる気しない。これもうクリア済みだし……誰かオンラインいるかな?」

……

「……誰もいねぇ。いや、ほぼ誰も……はあ、つまんね。」

ぐうぅ……

腹が鳴った。

「腹減った……なんか食うか。」

だるそうに足を引きずりながら階段を降り、キッチンへと向かう。

しかしその途中で――

「あ゛っ……物理の宿題……」

足を止めて、肩をすくめた。

「……まあいっか。明日で。今日はやる気出ねーし。なんか、変な感じするし……寒い……?」

冷や汗を拭きながら、パントリーを開ける。

「なんか、フラフラする……」

視界がぼやけ始める中、どうにかして何か食べられそうなものを探し続けた。

「……親父、買い出し行ってねーのかよ。ろくなもんねぇし……」

息が荒くなる。

頭がグラグラしながら、クッキーの箱に手を伸ばす。

「……うっ……」

階段へ戻ろうと身体を回したその瞬間――

「あっ……あ、ああああああああああ――ッ!!」

床に崩れ落ちた。

皮膚が裂けて、そして縫い合わされるような、そんな感覚。

体中の細胞が引き裂かれ、再構築され、また引き裂かれ――何度も何度も。

その痛みは、まるで津波のように彼を押し潰し、息を奪い、理性を奪った。

最初は、皮膚の下に炎が灯ったような熱。

しかし次に来たのは――鋭く、裂くような激痛。

見えない爪が四肢を、胸を、背中を引き裂き、内側がむき出しにされる感覚。

全ての神経が、狂ったように悲鳴を上げた。

冷たいタイルの床の上で身体が激しく痙攣する。

指先が勝手に動き、圧力が全身に満ちていく。

肋骨が軋み、背骨が引き伸ばされ、逆に縮んでいく。

顎は痛むほど食いしばっても、喉から漏れる悲鳴を止めることはできなかった。

汗が滝のように顔を流れ、唇からは唾液が滴る。

呼吸もままならない。肺が押しつぶされたように苦しい。

頭が割れそうだ――いや、実際に割れているんじゃないかと錯覚するほどの激痛。

骨の下に、"何か別のもの"が目覚めようとしているような、そんな不吉な感覚。

一は自分の腕を、胸を引っ掻いた。

原因を探し、終わらせようとした。

でも、何もなかった――血も、傷も、何ひとつ。

なのに、彼の身体は今まさに、崩され、作り直されていた。

「く、くるしいっ!誰かっ!助けてっ!お願い、誰か――!」

圧迫感がさらに増し、視界は光と色の粒に砕けていく。

耳には不気味なノイズが鳴り響き、あらゆる思考も、音も、すべてをかき消した。

そして、最後の――

本当に最後の、耐えがたい瞬間。

すべてが、砕け散った。

沈黙。

闇。

落ちていく感覚。

……落ちてる?

そう――彼は、落ちていた。

落ちて、落ちて、

――ドボンッ!!

冷たい水が肌を叩きつけるように襲いかかり、神経が一気に覚醒する。

「み、水……っ!?」

どうにかして水面まで浮かび上がることに成功した――が、問題はそこじゃなかった。

「な、なにこれっ!?ちょっ、誰かーっ!!お、俺、泳げないんだけど!?!」

「助けてっ!!誰か、お願いっ!!」

四肢をバタバタと動かし、水しぶきが四方に飛ぶ。

必死の動きは、生存本能によるものだった――だが、それだけでは足りなかった。

腕は力が入らず、脚も思うように動かない。

焦るほどに身体は沈んでいき、水は彼を飲み込んでいく。

誰も来なかった。

遥か遠くまで続く水平線。

空っぽで、冷たくて、何も答えてくれない。

波は静かに、だが確実に彼を覆い、叫びを、恐怖を、絶望を――すべてを飲み込んでいった。

「このまま……溺れて死ぬのか……? な、なんでだよ……何が起きてるんだ……!?」

思考が暴走し、暗く、混乱し、波よりも速く彼の中を駆け巡る。

「俺、何か意味のあることしたか……? 何も残せずに死ぬのかよ……俺って、ただの……無価値な存在だったのか?」

「死にたくない……っ……お母さん……死にたくないよ……」

――沈んでいく。

身体はもう限界だった。

疲労と重力と、海の底からの引力に逆らえず、彼は全てを委ねた。

だが意識だけは残っていた。

涙を流しながら、それでも生きようと願っていた。

けれどその涙も、海がすべて隠してしまった。

静寂の中、彼は深く、さらに深く、闇の底へと沈んでいく――

――その時。

手が。

冷たい指が、彼の手首を掴んだ。

力強く、それでいてまるで苦もなく、彼を引き上げていく。

「……っは……! がっ……けほっ……うっ……!」

肺が焼けつくように痛み、口から水を吐き出しながら激しく咳き込む。

どうにか呼吸を取り戻しながら、混乱した頭で考える。

「……い、生きてる……? なんで……?」

目が霞む中、彼を救った人物の背中が見えた。

白い髪。乱れたまま、風に揺れる。

まるで雪の糸が夜に溶け込むような、幻想的な白――アニメから飛び出してきたような姿。

「……生きてる? 本当に、生きてるのか……?」

救い主は彼のつぶやきを無視するように、片手で軽々と彼を引っ張っていく。

やがて、その人物がちらりと顔を向けた。

「生きてるんなら、いつまでも同じこと繰り返すのやめてくんない? ……はあ、せっかくやっと覚悟決めたところだったのにさぁ、お前のせいで台無しだよ。……だから、感謝しろよな?」

その声は冷たく、鋭かったが、どこか本気では怒っていないような、不思議な温度だった。

「わ、わかりました……っす……」

一の声はかすれ、心も身体もすでに限界を超えていた。

(覚悟? なにそれ……何のこと?)

その意味を考える余裕もないまま、ようやく岸にたどり着き、彼はずぶ濡れのまま砂に崩れ落ちた。

咳き込みながら肺の中の水を吐き出し、荒い呼吸の合間に、手で砂をつかみ、現実の感触を求める。

「はっ……はぁっ……ゲホッ……ここは……どこ……?」

「大丈夫か?」

再び、その声が聞こえた。

「……えっ?」

ゆっくりと顔を上げる。

助けてくれたその人物は、彼と同じくらいの年齢に見えた。だが――どこかが、違う。

風に揺れる、白くて乱れた髪。

少年とは思えないほど、静かで、研ぎ澄まされた雰囲気。

だが――彼の動きを完全に止めたのは、その「目」だった。

真紅。

まばたきひとつせず、まっすぐに見据えてくる。

好奇心。

不気味さ。

理解できない何か。

そこには、普通じゃない“何か”があった。

ぞくり、と背筋を冷たいものが走る。

体が勝手に強張る。

逃げたいのに、逃げられない。

「……な、んだ……今の目……?」

その場に立ち尽くしたまま、ハジメは言葉を失った。