第119章 食事

黒田俊均が県軍区に戻るとすぐに、田原青雲から電話がかかってきた。今年の軍区間の武術大会の状況について少し話した後、黒田俊峰も来ていると知ると、黒田俊均に夜は家に戻って食事をするよう言い、二人の弟も連れてくるように頼んだ。黒田俊鎮が東京から来ているので、会って東京の親戚や友人の近況を聞きたいとのことだった。

俊均は電話を切ると、思わず眉をひそめた。吉田おばさんが花菜を連れて莞市から県庁所在地に戻ってきたため、もともと余裕のなかった休息時間がさらに厳しくなっていた。三日か五日に一度は彼らの家に行かなければならず、行かないと電話で催促される。昨晩も彼らの家で食事をしたばかりなのに、今日もまた行くとなると、訪問頻度が高すぎるのではないか?

俊峰は社交が苦手で、他人の家での食事の誘いを聞くとすぐに断固として拒否した。俊鎮は昨晩兄と一緒に行ったばかりで、今日はまた行きたくなかったが、兄の冷たい視線の下、頷くしかなかった。

俊均はまず手元の仕事を片付け、夜7時半に俊鎮を連れて時間通りに吉田暁文の職場の住宅区に到着した。

暁文は最初に下放された時は教師をしていたが、その後徐々に異動し、教育局に入った。今は県庁所在地に来て、やはり教育系統の仕事をしており、3LDKの住居を割り当てられていた。夫婦は主寝室、二人の子供はそれぞれ一部屋を占め、家政婦はリビングで寝なければならなかったが、条件はこの程度で、とりあえず住んでいた。

青雲は任期中のため、まだ莞市に留まっていたが、田原浩誠は東京から両親のもとに来ることができた。これは青雲が何年も頼み込んだ結果であり、また東京の田原お婆様が今年初めに大病を患い、体が弱って力が出なくなったためでもあった。そうでなければ、お婆様は孫を暁文に預けることはなかっただろう。

子供は来たものの、青雲と暁文は田原お婆様から電話で大目玉を食らった。「親の愛情が不足すると子供の心理的健康に悪影響がある」という言葉は明らかに暁文が言ったものだが、お婆様は鼻で笑った:「私を疑うのか?あなたたちの手に渡したほうが不健康になると思うわ!」

しかし彼女は病気でそれほど元気がなく、老人はまだ国事に気を配っていたので、とりあえず浩誠を来させ、彼女が体調を回復したら子供を東京に連れ戻すことにした。