向かい側の石丸英庭の目が彼女の方へ向けられていた。
少し審査するような視線に、棚木知恵は思わず神経を張り詰め、思わず視線を逸らした。
知恵はあの日、吉田和蓉とエビ料理店にいた時の英庭についての会話を思い出した。
「石丸英庭って、確かに顔はいいけど、性格は最低だよ。昔、気に入らない女の子を精神病院送りにしたって噂もあるし、関わらないほうが身のためだよ」
和蓉はそう言って、ため息をついた。
「たぶん障害のせいで性格が歪んじゃったんだよ。もし彼が健康体だったら、あんな完璧超人、絶対モテまくってるって」
こういった話を聞いて、知恵は大学時代に見かけたあの上品で礼儀正しい石丸英庭の印象すら疑わしくなっていた。
でも……本当に歪んでるなら、カフェで女性とデートなんてする?
彼女の脳内に、ひとつの疑問符が浮かんだ。
気がつくと、アシスタントはもう席を離れていた。
先輩が声をかけてきた。「知恵、さっきからずっとボーッとしてたけど、大丈夫?陸田社長の資料は読み終わった?」
知恵はタブレットを取り出して言った。「もう読み終わりました。車の中で質問もいくつか考えてきたんですけど、先輩、チェックしてもらえますか?」
先輩は知恵から渡されたタブレットを受け取り、インタビューの質問を注意深く確認した。
そのとき、英庭の向かいに座っている女性が話し始めた。
「石丸さん、あなたの身体的な問題のせいで、たとえ結婚できたとしても、私が未亡人のような状態になる可能性があります。私はアイビーリーグ卒の博士で、あなたとの結婚に何の不足もないと思っています」
その女性はとても遠慮なく話した。「プラトニックな結婚でも我慢できます。でもそのぶん、私の努力に対してあなたからの物質的な補償があって然るべきです」
未亡人?プラトニック?
──え、これって……お見合いの現場!?
知恵は思わず英庭の方をちらりと見た。
つまり、その女の言いたいことは――石丸英庭が「不能」ってことで、その代わりに生活保障をしろってこと?
知恵はピンときた。自分はまだ経験がないけれど、男ってこういう話になると結構露骨だ。
かつて清水母に清水稚人に電話をかけるよう言われた時、稚人は彼女が気づかないと思っていたが、電話の向こうの女性と盛り上がっているのを聞いて、嫌悪感で吐きそうになった。
清水母は彼女と稚人が婚前関係を持つことを厳しく禁じていた。二人が無謀な行動をして彼女が妊娠したら、清水家のイメージに悪影響を与えることを恐れていたのだ。
知恵はこのことを思い出し、なるほどという表情を浮かべた。
――そうか、石丸英庭が歪んでる理由が、ようやく分かった。「男性としての機能を失ってるから」、心もバランス崩してるんだ!
――それってつまり、宦官と同じじゃん!!
知恵と真正面に座り、わずか2、3メートルしか離れていない英庭は、知恵の豊かな表情をすべて見ていた。
彼はまるで何事もなかったように、ゆっくりとコーヒーを口にした。
「何が欲しいんだ?」
湿った低音が、気だるく響いた。女性の侮辱にも、まるで意に介さない様子。
知恵はこの声にどこか聞き覚えがあると感じたが、どこだったか思い出せなかった。
おそらく以前、英庭が彼女の学校で講演をした時に聞いたので、馴染みがあるのだろう。
その女性は英庭が直接質問するとは思っていなかったようで、唇を持ち上げて自信満々に答えた。「CE集団はビジネス帝国です。私は集団の上層部に入り、あなたとともにCE集団を経営したいと思っています」
「私はイェール大学の金融学博士号を持っていて、学校でも毎年奨学金を獲得し、他の人よりもはるかに高い能力を持っています...…」
知恵が興味深く聞いていると、そのアシスタントがまた戻ってきた。
申し訳なさそうに知恵たち二人に言った。「申し訳ありません。陸田社長が急用で空港に出張に行くことになりました。今回のインタビューは一時延期になるかもしれません」
この陸田社長は、彼女たちをすっぽかしたのだ。
先輩は少し驚き、怒りそうになったが、すぐに知恵に引き止められた。
彼女は礼儀正しく笑った。「それは本当に残念です。陸田社長は多忙ですから、突発的な状況は避けられないでしょう」
アシスタントは名刺を名刺を差し出しながら、「陸田社長からお二人にお詫びの意を表するようにと言われました。代わりにこちらの方が最近は時間に余裕があるので、よろしければテレビ局としてこちらにご連絡いただければと」と言った。
「わかりました。陸田社長によろしくお伝えください」
アシスタントはうなずき、カフェを出て行った。
知恵は名刺を先輩の手に渡した。「先輩、この人も有名人です。陸田社長がダメでも無駄足にはなりませんよ」
先輩はその名刺を見て、すっぽかされたことや徹夜で調査したことが無駄になったという怒りが少し和らいだ。
先輩は感謝して言った。「さっきは助かったよ。あのまま怒ってたら、今までの努力が全部水の泡になるところだった」
「気にしないでください」
「陸田社長がこう言ってるってことは、向こうも取材を受ける気があるってことでしょう」知恵はコーヒーを一気に飲み干して言った。「先輩、また資料をまとめ直して出直しましょう」
「そうね」
先輩はすぐに気を取り直し、立ち上がった。「じゃあ行きましょうか」
知恵はうなずき、バッグを手にして立ち上がり――そのとき、視線を感じて目を上げると、英庭が静かに彼女を見ていた。
深い瞳はまるですべてを見通しているようで、彼女をはっきりと映っていた。
知恵は突然、自分が先輩に遠回しに忠告した姿が英庭の目には非常に滑稽に映っているのではないかと感じ、少し恥ずかしくなった。バッグをしっかりと握り、先輩と一緒に急いでカフェを出た。
英庭と見合いをしていた女性はまだ延々と自分を褒め称えていた。
英庭はガラス越しに知恵がやや狼狽えて去っていく後ろ姿を見て、ふっと笑った。
そして目の前の女性の顔に「あなたの会社に入りたいの、分かってよ」と書いてあるのが透けて見えて、一気に興味が失せた。
「CEに入りたいなら、正規の面接を受けろ」英庭は彼女の自慢話を遮った。
その美しく端正な顔には温かみがなく、容赦ない冷酷さを漂わせていた。「今後、俺の母親に縁故頼んで面倒をかけたら――CEグループ傘下の飲食店で、一生皿洗いでもしてもらう」
その女性は英庭の威圧感に圧倒され、図星だったのか、それとも本当に皿洗いにさせられるのが怖かったのか、しばらく言葉が出なかった。
英庭は慣れた様子で車椅子を操り、容赦なくカフェを後にした。
車に乗り込むと、すぐに携帯が鳴った。
英庭は携帯を取り、電話に出た。
「母さん」
「英庭、あの子はどうだった?」
英庭の母親は中村月冴(なかむら・つかさ)という。
「話がまとまらなかった」
月冴は少し失望した様子だった。「まあ、いいわ。あなたのために、まだ他にも良家の娘さんを何人か調べてあるの。近いうちに……」
「母さん」英庭は月冴がさらに見合い相手を紹介しようとする言葉を遮った。「この件については、自分で考えてる」
「英庭」月冴の声は優しかった。「あなたはもうすぐ30歳よ。これ以上引き延ばしていたら、どんな良い娘さんだって、嫁いでくれなくなるわよ?」
英庭の頭の中には、無意識のうちに非常に生き生きとした表情を見せるあの可愛らしい顔が浮かび、口角を少し上げて言った。「いるよ」
月冴は脅しを含みながらも優しく言った。「おじいちゃんとおばあちゃんがもうすぐ帰ってくるわ。彼らがどれだけあなたの結婚を望んでるか、分かってるわよね?」
英庭は言葉に詰まった。
もう、頭が痛くなった。