棚木知恵、誕生日おめでとう
眉をわずかに動かし、何も言わなかった。
空っぽのリビングには、石丸英庭のかすかな笑い声だけが響いていた。
彼はスマホを閉じ、もう見るのをやめた。
……
棚木知惠は自分のSNSを誰かに監視されているなど知る由もない。非公開設定をきちんと整えたあと、棚木家に戻った。
明日、棚木家は知惠の誕生日パーティーを開催する予定だった。知惠が主役であり、棚木夫人は彼女を会場で一番輝かせるために多額のお金をかけ、江都で最高級のスパを受けさせた。
棚木父は知惠を見て尋ねた。「今日、石丸社長の前で棚木商事との関係を話したか？」
知惠は少し躊躇した後、何事もないようにバッグを脇に置き、言った。「お父さん、今日CEで一つ出来事がありました」
父は話題を変えられることに苛立ちを感じながらも、我慢して尋ねた。「何があった？」
「石丸社長が今日、大勢の前で彼を怒らせた三人を解雇したんです」知惠は心の中で石丸に謝りながら続けた。「お父さん、あんな場面を見た後で、私が言い出せるわけないでしょう？」
たった一言で気に障れば、容赦なく解雇する男。
もし知惠が記者という立場を利用して自分が棚木商事の令嬢だと言い出し、石丸の機嫌を損ねたら、棚木家も巻き添えを食うのではないか？
父は眉をひそめたが、それ以上は追及しなかった。
「明日の誕生日パーティーにはしっかり準備しておけ。お前は棚木家の娘であり、清水家の未来の嫁だ。絶対に失敗は許されないぞ、わかるな？」
知惠は素直に頷いた。「はい、お父さん、わかっています」
父は満足げに頷き、立ち上がって部屋を出た。
スパを終えた後、知惠は自分の部屋に戻って休んだ。
部屋は豪華に装飾されていたが、彼女はもうずいぶん長い間ここに戻っていなかった。
この寝室にある貴重なものは、どれも彼女のものではなかった。
時計は止まることなく進み続けた。
やがて、11時59分を迎え、そして深夜に入った。
知惠のスマホがブンブンと振動し始め、友人たちからの誕生日メッセージが次々と届いた。
彼女はベッドに横たわりながらそれらの祝福を見て思わず笑みがこぼれ、一つ一つ返信した。
別の都市にいる清水稚人は、ベッドから起き上がって水を飲みに行った。
ベッドの反対側では、シルクのナイトドレスを着た女性が眠っていた。
稚人は何気なく時間を確認すると、疲れた思考が少し回復し、そばに置いてあった携帯を手に取った。
彼の秘書が今日が棚木知惠の誕生日だと知らせていた。
稚人はバスローブを引っ張りながらソファに座り、だらけた様子で知惠に電話をかけた。
相手は少し遅れて電話に出た。
「稚人？」
「寝てたか？」稚人はストレートに尋ねた。
「まだよ。どうしてこんな時間に電話してくれたの？」
稚人は喉から笑い声を漏らした。「先日、誰かが君の誕生日を思い出させてくれたんだが？」
「じゃあ...…わざわざ電話してくれたの？」
「そうでなければ何のためだ？」
ベッドの上の女性が目を覚まし、遠くにいる稚人を見た。
彼の眉目には緩やかな笑みが浮かび、かなり楽しそうな様子だった。
「誕生日おめでとう、ちーちゃん」
女は彼の無意識に表れた優しさを感じ取った。
名もなき嫉妬の炎が心に燃え上がった。
ベッドから起き上がり、そっと稚人の背後に歩み寄り、彼の首に腕を回して抱きついた。相手が「ありがとう」と言うのを聞いた瞬間、甘えた声で言った。「稚人、誰と電話してるの？」
稚人は女の声を聞くと、横を向いて彼女を一瞥したが、電話を切ることはなかった。
一方、電話の向こうの知惠はその声を聞いて、すかさず彼のために口実を作った。「まだ接待中？後でゆっくり休んでね。私も明日やることがたくさんあるから、もう切るね」
そう言うと、通話はすぐに切れた。
稚人の顔からだらけた表情が消えた。
「稚人、彼女は誰なの？」
「誰って？俺の婚約者だ」
稚人は冷たく彼女を抱き寄せ、無表情で言った。「稚人って、お前が呼んでいいのか？」
女性はまだ反応できずにいた。「じゃあ何て呼べばいいの？」
稚人は彼女の顔を掴み、しばらく左右に見回した。
彼は美しく、柔らかさの中に陰りはなく、情熱的な切れ長の目は見る者を溺れさせるほどだった。
今、彼の腕の中にいる女性も、そんな一人だった。
稚人は彼女を抱えてベッドに向かいながら、上ずった声で言った。「お兄さんって呼べ」
誕生日を迎えて5分も経たないうちに、稚人の電話で気分を台無しにされた。
知惠は稚人に嫌悪感を覚え、他の人からの祝福を見る気も失せてしまった。彼女はスマホを脇に放り投げたが、秘書に送るべき写真を思い出し、再びベッドから起き上がり、カメラの中の写真をパソコンに移して簡単に編集した。
英庭は顔立ちが整っているため、どんな角度でも隙がない。
知惠が画像を拡大していると、あるものに目を奪われた。
――彼の喉仏のすぐ下に、小さな赤いほくろ。
英庭の喉仏がそれを押し上げていなければ、知惠は全く気づかなかっただろう。
そのほくろは血のような赤色をしており、特殊な位置にあるため、知惠はしばらくじっと見つめていた。
彼の喉仏が動くたびに、ほくろが見え隠れする様子を想像した。
自分のさっきの不謹慎な考えに気づき、知惠はすぐに気まずくなった。
彼女はすぐにその小さな赤いほくろを修正して消した。見なければ心が乱れることもない！
編集が終わると、知惠はもう一度しばらく見てから、写真を秘書に送信した。
深夜1時、英庭のスマホが一度鳴った。
彼はまだ寝ておらず、書斎で書類を見ていた。
英庭が画面を開くと、知惠からのメッセージだった。
内容は彼女が撮った写真。
Z：すみません、写真を送るのが遅くなりました。
Z：何か修正が必要ならお知らせください。
英庭は眉を上げた。彼女は、自分が「特助」だと思っているのだ。
彼はゆっくりと文字を打った。
CE：まだ起きてるのか？
Z：そろそろ寝ます。秘書さん、写真はこれで大丈夫ですか？
CE：とても良いです。修正の必要はありません。
するとすぐに、ぐるぐる泳ぐアヒルのGIFが送られてきた。
彼女は褒められると嬉しくなるようだ。
英庭は口元を緩めた。
CE：もう遅いから、早く休みなさい。
CE：誕生日おめでとう。
知惠はちょうどベッドに戻ったところで、相手からの祝福を見て少し驚いた。
秘書がこういった情報まで知っている必要があるのだろうか？
しかし誰かに祝福されると嬉しくなった。
知惠は感謝の言葉と「おやすみなさい」という一言を添えた。
良い夢を。
翌日の朝、知惠は朝食を済ませるとすぐに身支度を始めた。清水家の人々もすぐに到着し、清水母は自ら彼女のためにピンクダイヤモンドのアクセサリーを用意していた。白い肩出しのドレスと合わせると非常に目を引いた。
「わざわざいらしていただいたのに、知恵にまでプレゼントを用意していただいて」棚木母は笑顔が収まらなかった。
清水母は満足げに知惠を見て言った。「知恵は私たち清水家の未来の嫁ですから、今日は彼女の誕生日、当然手ぶらでは来られませんよ」
知惠は近所の可愛い娘のように、はにかみながら礼を言った。「ありがとうございます、おばさん」
「もう少ししたら呼び方も変わるわね」
知惠はタイミングよく恥じらいを見せ、清水母は彼女の従順な様子を見て、ますます知惠こそが清水家の嫁に最適な人物だと確信した。
彼女の言うことを聞き、稚人の言うことを聞き、完璧な清水家の嫁になる人物だと。