第129章 恩は既に返済済み

ただ、あの日以来、二人はもうそんな近い距離で接触することはなかった。

  彼女は毎回ステージの上に立ち、靳澤が入ってきて直接2階の個室に上がっていくのを見ているだけだった。

  全行程15秒もかからない時間!

  しかし、たとえその偶然の15秒のためだけでも、彼女はなんとその酒場で4年も歌い続けた。

  ただ遠くから彼を一目見るためだけに……

  過去を振り返ると、すべてが昨日のようだった。

  溫倩の思考は現実に引き戻され、鏡の中の自分を見つめ、微笑みを浮かべた。

  たとえこの数年間、靳澤が彼女をまともに見ることさえなかったとしても、彼女は昨夜起こったことを後悔していなかった。

  かつて彼が自分のために窮地を救ってくれたことへの恩返しだと考えていた。

  また、自分の少女の夢を叶えたのだ。彼女は自ら進んで自分の愛する男性に身を捧げた。

  たとえすべてが俗世のように、煙のように、夢のようであっても……

  「カチッ!」

  突然ドアの開く音がし、溫倩は急いで身につけている服を整え、洗面所から出た。

  兄の溫傑が帰ってきたのだ!

  「お兄ちゃん、朝ご飯食べた?作ってあげるわ!」

  溫傑は手を振った。「いらない。話がある。ヨーロッパに連れて行って、勉強を続けさせようと思う。このまま続けさせるわけにはいかない。芸能界はお前には向いていない」

  溫倩は眉間にしわを寄せ、頭を振った。「行かない!私は帝都にいたいの。たとえ一生小さな歌手のままでも、それでいいの!」

  少なくともここには靳澤がいる!

  溫傑はため息をついた。「兄貴はお前のためを思ってるんだ。なぜわからないんだ?もう決めたことだ。行くも行かないも選択の余地はない!」

  溫倩は下唇を噛みしめ、溫傑の視線を受け止めた。

  「行かないって言ったら行かないの。無理強いするなら…私、出て行くわ!」

  そう言うと溫倩は激しく溫傑を押しのけ、自分の部屋に戻った。

  ドアを閉める瞬間、下唇を強く噛んだ。

  ヨーロッパはあんなに遠い。行ったらいつ靳澤に会えるかわからない。

  どんなことがあっても、行くつもりはない……