電撃結婚に行こう!

時は夜九時、都会の闇が甘い誘惑を撒き散らす時刻。

天野奈々(あまの なな)は独身パーティーで少し飲みすぎ、婚約者に彼のマンションまで送られた。しかし、激しい頭痛で目を覚ますと、薄暗い灯りの中でに蠢く男女の影、隣に絡み合う二人が情熱的にキスをしているのが見えた。

天野奈々は呆然と、ベッドのそばで激しくキスを交わす二人を見つめた。心の中の怒りが一気に爆発した。

「柔子、やめろよ。奈々が寝たばかりなんだ!」男は女の腰を抑えながら言った。

「どうして…?婚約者が起きるのが怖いの?」雨野柔子(あめの じゅうこ)は恨みがましく言った、「あんたたち、明日結婚なのよ。今夜だけ…私のものよ!」

「ベイビー、やめろ。他の部屋に行こう!」男は魅惑的に誘った。

「いやよ、ここがいいの!この部屋で、彼女の目の前でやりたいの!」雨野柔子は素早く男のシャツを脱がし、二人は再び激しくキスを交わした。

天野奈々は涙をこらえきれずにいた。明日入籍するはずの婚約者が、愛人を連れて自分のベッドの前で密会していることが信じられなかった。

「いい子だから、バスルームに行こう。あとは君の好きなバスタブでどう?」

「じゃあ、先に入って湯を張って!」雨野柔子は男の胸を押しやった。男が去ると、天野奈々の前に来て、薄ら笑いを浮かべながら言った。「天野奈々、明日、翼があなたと入籍することは絶対にさせないわよ。この赤ちゃんがいるから、彼は私のものなのよ!」

天野奈々は両手を拳に握りしめ、声を出さないように必死に耐えた。バスルームから二人の熱い喘ぎ声が聞こえてきて、初めて天野奈々は自分が粉々に砕け散るのを感じた。

3年前、彼女はまだ東京のモデル業界のトップだったが、この男のためにすべてを捨て、トップの座を雨野柔子に譲った結局、彼女は他人のためにお膳立てをしていただけだった。いいえ、これは夢に違いない、悪夢だ。目が覚めればすべては終わる。

天野奈々は必死に自分に言い聞かせようとしたが、真夜中になると、雨野柔子は体調不良を理由に冬島翼(ふゆしま つばさ)を頼ってホテルを後にし、冬島翼はあっさりと彼女を置き去りにした!

でも、明日は二人の婚姻届の提出日のはずだったのに!

苦い笑みを浮かべながら、翌朝、天野奈々は予定通り車を運転して区役所に向かった。車から降りると、冬島翼に電話をかけたが、冷たい返事が返ってきた。「雨野が舞台事故で負傷したので、届けは延期ー」

延期など存在しない。天野奈々は絶望的に、自らに言いきかせるように唇を噛んだ。

天野奈々は振り返り、サングラスをかけて立ち去ろうとしたとき、向こうから背の高い人影が彼女に向かって歩いてくるのが見えた。深いブルーのクラシックなスーツが逞しい体を包み、胸ポケットにはワインレッドのスカーフが差し込まれていた。下を見ると、脚がまっすぐで長く、茶色の尖ったドレスシューズがピカピカに磨かれていた。

この男は、人を圧倒するようなオーラを放っている。まるで天下の存在のようだ!

特に近づいてくると、サングラスをかけていても…彫刻のように整った顔立ち、そしてセクシーな薄い唇は、人を狂わせるほどだった。

天野奈々はこの男を知っている。海輝エンターテインメントの社長、墨野宙(すみの ひろし)だ。彼女がまだモテる時、パーティーで一面の縁があった。

彼も今日結婚するの?

「社長、池田さんが定刻に到着していません…10分遅刻です!」後ろについてきた秘書が恭しく言った。

「池田家に電話して、結婚にも遅刻する人間はもう来なくていいと伝えろ。」男は冷酷に言った。

「でも、会長は今日あなたが必ず結婚しなければならないと言っていて、ニューハーフを娶ることにも反対しないそうです…」秘書は少し臆病に言った。

「誰ともいい、30分くれてやる。名家あたりから適当にピックアップしろ。」男は手際よく告げた。人情味がないように見えた。

なるほど…。同じように相手がいない状況でも、この男には「選ぶ」という余地が無数にあるのだろう。富も名声も手中にし、愛など持て余すほど。彼自身も求めていない、一族の意向に沿った結婚さえすればいい。

突然、天野奈々のなかにあるひらめきが走り、彼女は思い切ってサングラスを外すと、まっすぐに墨野宙の前へ進み出て小声で告げた。「墨野社長…お相手が来ないのでしたら、私も婚約者に逃げられました。よかったら、私たちで結婚――――してみませんか?」

墨野宙の後ろにいた秘書は呆然とした。こんなに大胆な女性がいるなんて…

しかし天野奈々は背筋をピンと伸ばしていた。必死の思いで言葉を紡いだ。

墨野宙はサングラスを外し、漆黒の瞳を露わにした。その瞳はダイヤモンドのように鋭い光を放っていた。しばらくして、彼は秘書の方を向いて言った。「彼女の情報を持ってこい!」

秘書はもちろん天野奈々の身元を知っていた。すぐにスマートフォンで天野奈々の名前を検索し、恭しく差し出した。2分後、男性は薄い唇を開き、彼女に一言だけ告げた。「いいだろう」

天野奈々は、墨野宙に出会えたのは幸運だと感じた。彼は女性を利用する必要もなく、いわゆる愛情も必要とせず、ベッドパートナーにも事欠かない。

そして、冬島翼に後悔させてやる!

二人の結婚手続きは急ピッチで進められ、わずか30分後、天野奈々の本籍も更新され、これで彼女は墨野奈々となったのだ。

「墨野社長、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

「車に乗れ」墨野宙はサングラスを戻し、颯爽と登記所を後にした。

天野奈々は墨野宙の後を追い、ロールスロイスに乗り込むと、少し緊張した様子で墨野宙を見つめて言った。「結婚していただいてありがとうございます。あなたが望むことは何でも、無条件で協力します。でも、2つだけお願いがあります」

「言ってみろ」墨野宙は少し疲れた様子で襟元をゆるめた。

「1つ、よほどのことがない限り、婚姻関係は非公開のこと。もう1つ、私生活への干渉禁止。もっとも、私たちが結婚した以上、他の男性と変な関係を結ぶつもりはありません。」

墨野宙は天野奈々の言葉を聞いて、口角をわずかに上げた。車内に危険な雰囲気が漂った。「いいだろう…ただし、君には自分のゴタゴタを整理してもらったうえで、俺と仮初の結婚生活を送り、半年後…その後、正式に夫婦であることを公表する」

「ありがとうございます」天野奈々は頷いた。

「それと…夫婦別居は認めない!3日だけやるから、俺が指定する場所へ引っ越せ。後で秘書が連絡する」

天野奈々は反対しなかった。夫婦なのだから、この要求は非常に合理的だ。そのため彼女は素直に頷いた。「わかりました」

「よろしい」

二人が口頭で約束を交わした後、天野奈々は墨野宙の車を降り、代わりに秘書が運転席に座った。バックミラーを通して墨野宙を見ながら言った。「社長、会社に戻りますか?それとも、まず本家に戻って会長に報告しますか?」

「お前は車で天野奈々の後をつけろ。彼女の行動を私に報告しろ」墨野宙は秘書に指示し、車を降りた。

突然彼に結婚を申し出たのは、何かあったに違いない!

芸能事業で海外進出を行うグローバル企業の社長として、かつて天野奈々の名を聞いたことがある。3年前、スターキングという一流モデル事務所からの誘いを断り、その報復で業界から干され、やがてスカイ・エンターテインメントへ移籍し、冬島翼と親しくなった――その経緯を、彼は心の奥で思い起こしていた。