第611章 もう逃げないで。

椛木千鶴のこのやり方は、まるで...息子に対する態度というよりも、むしろ敵に対するような態度だった。

帝王のように高貴な墨野宙には、寛大な母親がいるべきだったのに、椛木千鶴の示す様々な行動は、まったく大局を見据えることのできない女性のものだった。

天野奈々はエレベーターから直接墨野宙の社長室に入り、彼が深く考え込んでいるのを見て、お腹を抱えながら彼の後ろに歩み寄り、そっと彼の耳を手で覆った。「何も聞かなくていいの...」

墨野宙は天野奈々の手のひらの温もりを感じ、すぐに大きな手で包み込み、唇に寄せてキスをした。「君だけだよ、何か起きると、いつも僕のことを一番に考えてくれるのは。」

「だって、私はずっとあなたのことを一番大切に思っているからよ。」天野奈々は優しく微笑んで言った。「わかっているわ。こんなことが起きても、あなたにとっては対処するのは難しくないはずよ。でも、他人なら心を傷つけることはできないけど、今回は...違うわ。」

「彼女も僕を傷つけることはできない。」墨野宙の琥珀色の瞳から、心を凍らせるような冷たい光が放たれた。そして、彼は天野奈々の手を引いてソファに座らせ、落ち着いた声で語り始めた。「実は、母と一緒に過ごした時間はそれほど長くない。最初から、彼女は僕が祖父から海輝を引き継ぐことに反対していたからね。」

「実は彼女は以前、確かに北という姓だったわ。椛木という姓は後から変えたもので、おそらく祖父と仲違いしたためよ。ただ、具体的に何があったのかは、当時の当事者たちにしかわからないわ。」

「彼女は僕が十歳の時から、世界中を研究のために飛び回っていたから、僕の彼女に対する理解は、普通の友人程度で、時にはそれ以下だったんだ。」

「墨野家は身内に甘いから、彼女は僕が海輝を引き継ぐことに反対していたけど、最終的には黙認することを選んだ。これまでの何年も、僕と彼女の関係は、表面上の親子の情愛を保ち、礼儀正しく付き合ってきた...」

天野奈々は話を聞き終わって、頭の中の疑問が更に増えた。ただ墨野宙を見つめながら尋ねた。「じゃあ、彼女は...どうして俳優をそんなに嫌うようになったの？」