第26章 少し抱かせて

黒いマイバッハの後部座席で、藤原徹は携帯を握りしめ、その指の関節が白くなっていた。車内の空気は凍りついていた。

運転手の田中さんは思わず高野広に目配せをした。「少し若様を説得してください。このままでは奥様が見つからないうちに、私たち二人が凍え死んでしまいます。」

高野広は電話を切り、イヤホンを外して藤原徹に報告した。「社長、この一時間以内の市内の事故を全て調べましたが、奥様の痕跡は見つかりませんでした。」

改造車は運転が難しく、一歩間違えれば事故につながるため、高野広はまず事故現場の確認を指示していた。

「それに交通局からも連絡がありました。ただし、いくつかの主要道路の監視カメラが定期点検中だったため、奥様の走行ルートはまだ確認中です。」

「パソコンを寄越せ。」

藤原徹はもう待てなかった。

いらだたしげにネクタイを緩め、骨ばった指がキーボードの上を素早く動き、すぐに画面には東京市内の全ての交差点の監視カメラ映像が次々と表示された。

先ほどクロシオから送られてきた「人を好きになるとはどういうことか」というメッセージを思い出し、藤原徹は歯ぎしりした。

好きとは何か？

これこそが好きというものだ！

高倉海鈴が危険な目に遭うかもしれないと考えるだけで、あのクレイジーな女からもう二度と「キスして」と図々しく言われなくなるかもしれないと思うだけで、この世界からもう二度と高倉海鈴という女性がいなくなるかもしれないと考えるだけで、彼は狂いそうなほど焦っていた。

騙されたことも、薬の実験台にされたことも、もうどうでもよかった！

……

高倉海鈴は溜まっていた仕事を片付けてから、やっと帰る支度を始めた。

古びた階段を歩くと足音が響く。彼女はバッグを持ちながら、階段を下りながら藤原徹の怒りが収まったかどうか考えていた。

その時、ドンドンという急ぎ足の足音が下から聞こえてきた。

高倉海鈴が横によけた次の瞬間、大きな影が駆け上がってきて、彼女を抱きしめた。

「バカ野郎、誰が勝手に車を運転していいと言った！」

藤原徹は大きく息を切らしながら、高倉海鈴を抱く腕の力は少しも緩めなかった。