第880章 愛する人を見逃さない

藤原徹は一曲を弾き終えると、ゆっくりと深い瞳を開き、愛する女性を優しく見つめながら、薄い唇を開いた。「気に入った?」

高倉海鈴は「……」と耳を掻いた。もし自分の耳がおかしくないのなら、藤原徹が自惚れすぎているとしか思えない。こんな演奏で、よく「気に入った?」なんて聞けるものだ。

しばらくすると、ドアが再び開き、藤原明が慌てた様子で飛び込んできた。目はまだ朦朧としており、おそらく目覚めたばかりだった。「何があったの?さっき怖い音が聞こえたんだけど、ホラー映画のBGMみたいだったよ!」

高倉海鈴はまぶたを痙攣させた。つまり、自分の耳がおかしいわけではなく、藤原徹の演奏に問題があったのだ。しかし藤原徹本人は少しも恥ずかしがる様子もなく、淡々と言った。「悪夢でも見たんじゃないか」

藤原明は困惑した表情で「いや、はっきり聞こえたよ!」

藤原徹は顔も上げずに軽く鼻を鳴らした。「そんなはずないだろう。お前は小さい頃から寝る時によく悪夢を見ただろう。怖い音が聞こえても不思議じゃない。それに、俺たちには何も聞こえなかったんだ。海鈴、そうだろう?」

高倉海鈴は「?」違うとは言えないよね?

意外にも藤原明は単純で、藤原徹にそう言われると真剣な顔で「そうだね、きっと悪夢を見たんだ。最近睡眠があまり良くないから」と言った。

藤原徹は頷き、声を少し柔らかくして「心配するな。時間があったら医者に診てもらうといい。早く部屋に戻って休むんだ」と言った。

言われるまま、藤原明は素直に部屋に戻っていった。高倉海鈴は呆れて首を振った。藤原明は純粋すぎる、人の言うことを何でも信じてしまう。

藤原徹はゆっくりと立ち上がり、つぶやいた。「この古琴は確かに扱いが難しいな」

高倉海鈴は意地悪く笑った。藤原徹にもできないことがあるなんて。おそらく藤原徹が優秀すぎるせいで、やろうと思ったことは何でもできてしまう。彼女の中で、藤原徹は万能な存在だった。ゼロから藤原財閥を築き上げ、若くして経済界で名を轟かせ、彼を困らせるものは何もないように見えた。それなのに今、古琴が難しいと言うのだ。

「徹が何でもできると思ってたけど、できないこともあるんだね」高倉海鈴は笑いながら言った。