第12章 洗濯板

春風得意に馬蹄は疾く、少なくとも青禾実業に勤める高級ホワイトカラーの目には陳浮生のアウディA4の走りは特に荒々しく映った。企業内部での誤った噂の狂気じみた広がりと、意図的に煽る者たちの後押しもあり、陳浮生は鯉の滝登りのような成り上がり者の気質を見せるどころか、むしろグループの太子のような後継者の圧倒的な存在感を放っていた。その強さは、偶然方婕と同時に青禾ビルに到着したグループの大物たちさえも身分を忘れて媚びるような笑顔を浮かべさせ、陳浮生が魏公公の臨終前に指名された婿だという噂をますます確かなものにしていた。

方婕と数人の青禾幹部と共に上層部専用のエレベーターに乗り込み、青禾内部で絶対的な威信を確立しつつある方婕の後ろに立ち、エレベーター内の鄭板橋の菊の絵「青帝新聞」と「清平楽」という詩を眺めた。陳浮生はまだその味わいを十分に理解できなかったが、書については発言権があった。それは鄭板橋の六分半書で、隷書と楷書が入り混じり、苦竹の茂みのように歪んで倒れているようだった。陳浮生の祖父は生前、揚州八怪の筆頭であるこの人物の板橋体をあまり好まず、ただ簡単に「鄭燮の『桃花岸』三文字は提顿勾勒の間に特に明媚で人を魅了する、まるで十六歳の美女のようだ」と言うだけだった。当時、半瓶の焼酎を飲んで酔った老人は朦朧とした目で板橋体で桃花岸の三文字を書いたが、すぐに破り捨てた。老人は一生涯、陳浮生と陳富貴に板橋体を教えることはなく、ただ陳富貴には顔真卿の清らかで雄大な気象が厳かな「八関斎報徳記」を臨書させ、陳浮生には何年も変わらず柳公権の「神策軍碑」を模写させた。幼い頃の陳浮生はその真意を理解していなかったが、今では偶然曹蒹葭の「若いうちは紅楼夢を読まず、老いては三國を読まず」という解釈を聞いて、老人の苦心を大体理解するようになった。