第47章 正邪両道の春秋門

実際のところ。

天啓宗の範囲は極めて広大で、およそ方三百里に及び、山脈が横たわり、原始の密林のような地形と地貌を形成していた。

さらに凡世界の各王國や皇朝のことを言えば、なおさらである。

そして。

天啓宗の範囲内、その原始林や山脈の中には、様々な妖獸や、天啓宗の弟子や長老たちが飼育する霊獣園や霊獣院などが生存していた。

さらには。

それらの妖獸たちは異なる種族界や勢力圈を形成していた。

天啓宗はこれらを一掃することなく、これらの妖獸や勢力圈が自然に成長するままにしていた。それは宗門の弟子たちに様々な修練の機会を与えるためであった。

そして。

それらの妖獸などの種族界は、法寶や丹藥を製造するための貴重な材料としても使用できた。

基本的に飼育されているようなものだった。

天啓宗の'護宗大陣'は天啓宗全体、つまり方三百里の範囲を覆っていた。

言い換えれば。

'護宗大陣'の保護と隔離の下で、'天啓宗'全体は独立した完全な世界のようであり、外界から完全に隔離されていた。

このような状況下で。

外界の敵が'天啓宗'に入るためには、'護宗大陣'を通過しなければならない。天啓宗の'護宗大陣'の威力は、この地の靈脈と結合した超級大陣であり、基本的に強制的に破ることは困難だった。

そのため。

'護宗大陣'を通過するには、相応の身分令牌が必要不可欠だった。

前回'妙なる仏陀様'が'天啓宗'に入れたのは、'妙なる仏陀様'の修為が深く、手段が確かに並外れていたため、'護宗大陣'のわずかな隙を利用して入ることができたのだ。

'天啓盛會'のため、'護宗大陣'は相応の通路を開いており、'天啓盛會'終了後に閉じられ、外界の人々が天啓宗に入る機会を与えていた。

さらには。

例えば齊明のように。

もし齊明の實力が十分に強く、そして一定の程度まで強大になれば、彼は'落雲峰'を中心に、自分だけの独立した洞天福地を建設することさえできる。

さらには自分の配下を育成することもできる。

もちろん。

すべての前提は、あなたの實力が十分に強大でなければならない。

そうでなければ。

洞天福地を建設する資格すらない。

「天啓宗の弟子に対する態度は放任しすぎだ」