実は所謂化勁とは、內勁の昇華に過ぎず、その勁力は依然として内から外へ発するものであり、化勁はこの「化」という字にあるのだ!
化とは、変化の意である。
內勁大師が內勁を繰り出す時、力は強大だが、往々にして自在に出し入れすることができない。一方、化勁宗師は內勁を炉火純青の域まで鍛え上げ、一招一式に千鈞の力を持ち、万変自在である。
化勁宗師の境地に達すると、もはや型に拘泥する必要はなく、一掌一拳、すべてに変化がある。
さらに化勁宗師は耳聡く目明るく、外物外力を身体で感知する。つまり、たとえ目の見えない化勁宗師であっても、他人の一撃が来れば、この感知能力によって対応できるのだ。
言わば化勁宗師は、修真者の神力の門戸に少し触れた段階と言える。
しかしそれはただの入り口に過ぎず、その扉までの道のりはまだ遠い。內勁大師と比べると、化勁宗師は感知がより鋭敏で、反応力も大幅に向上している。