第46章:絶世の儒仙様の如く、許洛塵の顔の笑み【新作への応援求む】

青雲後崖。

葉平は二度目の淬體を完了した。

後崖の中。

夜の帳が下りるにつれ、一筋の月光が葉平の肉身に降り注いだ。

この時、二度の淬體を経た葉平は、全く異なる変化を遂げていた。

彼の肌は白雪のようでありながら、淡い紅色を帯びていた。

彼の五官にもわずかな変化が現れ、その微妙な変化によって、清秀な少年から美男子へと変貌を遂げていた。

そう、神魔錬體が葉平に与えた現時点での最大の変化は、力の増強ではなく、容姿の変化だった。

かつての葉平は非常に清秀で、儒家の書生のような印象を与えていた。

しかし今の葉平は、絶世の儒仙様のような印象を与えていた。

端正な容貌は、剣眉ではなく柳眉で、劍仙の気は少なめだが、より儒雅さを醸し出していた。

彼が静かに座っているだけで、人々の心を落ち着かせるような雰囲気を放っており、この姿を女性が目にすれば、魂を奪われてしまうことだろう。

最も重要なのは気質だった。

そう、まさに気質だ。

修仙界では、五官があまりにも奇抜でない限り、醜い男性はほとんど存在しない。たとえ五官が極めて劣っていても、築基境に達すれば骨格を作り直すことができる。

また、修士は体内の毒素を排出するため、自然とニキビのようなものは存在せず、修士に醜い男性はいない。美醜の差は、主に気質にある。

気質は変えることができず、歳月をかけて沈殿させるか、先天的に備わっているかのどちらかだ。

蘇長御の気質のように、彼の気質は生まれながらに孤高で冷淡であり、世間が思い描く劍仙のイメージに非常に合致している。

一方、葉平の気質は儒道の仙人により相応しく、大道自然で心を静める感覚を人々に与える。

このような気質は極めて稀少で、知らない人は葉平を本物の絶世の儒仙様だと思うかもしれない。

しかし、葉平は自分の容姿や気質にまったく関心がなかった。

彼がより重視していたのは実力だった。

神魔錬體を二度目に行った結果、全身に力が満ち溢れ、肉身にも変化が現れ、周囲には古い皮膚が剥がれ落ちていた。

今の葉平の肉身は極めて堅固で、宝剣で手の甲を切ろうとしても、大師兄から贈られた宝剣では、手の上に一切の傷跡を残すことができなかった。