第七十五章 城下の兵(上)
烈戰侯が洗顏古派に来臨したことで、大きな動揺が引き起こされた。この知らせは寶聖上國中に広まり、多くの門派伝承が一斉に注目を集めることとなった。
烈戰侯は寶聖上國の人皇より親しく封じられた者であり、寶聖上國の戰將として、大きな意味で寶聖上國の意志を代表し、また聖天教の意志をも代表していた。
今、烈戰侯が親征するということは、聖天教がついに洗顏古派に手を出すということなのだろうか。
「あるいは、洗顏古派は完全に没落し、もはや立ち直れない。聖天教がついに洗顏古派に殺戮の刃を振り上げたのだ」と、ある門派の元老が語った。
また、当時の一戦の内幕を知る老怪物たちは洗顏古派に注目し、こう語った。「どうやら、柳三劍は本当に死んだようだ。聖天教がついに動き出すということか」
柳三劍は、当時は威名赫々たる存在だった。伝説によれば、柳三劍は当時、並外れた天才であり、洗顏古派の牧少帝の弟子だという者もいれば、その孫弟子だという者もいた。伝聞によれば、三万年前の一戦で、柳三劍は自ら陣頭指揮を執り、聖天教老祖と力を競い合った。その後、洗顏古派は惨敗したと伝えられているが、聖天教は柳三劍を警戒し、洗顏古派の本拠地への攻撃を控えていたという。
烈戰侯の親征は、多くの門派伝承に様々な思いを抱かせた。洗顏古派は帝統仙門であり、明仁仙帝の帝術と帝寶を継承している。たとえ一つの帝術や一つの帝寶が世に出ただけでも、人々の垂涎の的となるのに十分だった。
洗顏古派の多くの帝術はすでに失われたと噂されていたが、現在でも洗顏古派が所有する帝術と大賢の術は、なお無数の門派の羨望の的となっていた。
この時、多くの大門派は密かに議論していた。今回の烈戰侯の親征は、おそらく洗顏古派の帝術を狙ってのことだろう。あるいは、洗顏古派の天命秘術を狙っているのかもしれない。
戦船が洗顏古派の外に停泊すると、洗顏古派の上下は色を失った。一瞬にして、洗顏古派の雰囲気は極限まで緊張し、洗顏古派の全ての弟子が戦闘態勢に入った。
この時、戦船の中から一人の人物が立ち上がった。それは中年の漢であり、体格は逞しく雄壮で、戦鎧を身につけ、まるで出征する將軍のようであった。