「お父さん、お姉ちゃんは悪くないの。私は大丈夫だから、行きましょう」
「何が行くだよ」
九条政は木村靖子が差し出した手を振り払い、冷たい目で九条結衣を見つめながら、低い声で言った。「結衣、調子に乗るな。お前は今まで何度靖子をいじめてきた?その度に彼女はお前に我慢してきたんだぞ。お姉ちゃんらしい振る舞いが一つでもあったか?」
九条政が愛人の娘を贔屓にし、正当な娘に横柄な態度を取るその様子に、周りの人々は見かねていた。
藤堂澄人は眉をひそめ、深い眼差しで九条政を見つめ、何か言おうとした時、九条結衣のかすれた声が低く響いた——
「お父さん」
彼女の声は小さく、九条政はその呼びかけを聞いて一瞬固まった。
九条結衣の口から「お父さん」という言葉を聞くのは、もう随分と遠い昔のことのように感じられた。最後に彼女がそう呼んだのがいつだったか、もう完全に思い出せないほどだった。
九条結衣は目を上げて彼を見つめ、その目は既に赤くなっていた。
「私の母と私のことが嫌いなのは分かっています。でも、こんなに偏った扱いをするのはおかしいです。どう考えても、私はお父さんの娘なんです。それに、私は彼女より二ヶ月年上なだけで、お姉ちゃんとしてどう振る舞えばいいのか、分からないんです」
木村靖子は呆然としていた。さっきまで人生を説教していた九条結衣が、父親の前で涙目になって、こんなにも弱々しい姿を見せるなんて。
いや、これは本当の九条結衣じゃない!
今、彼女は何を言ったの?
木村靖子は突然何かに気付いたかのように、九条結衣の悲しげな顔を見つめ、さらに周りの人々の視線を感じ取ると、心の中で警報が鳴り響いた。
直感的に分かった。また九条結衣に策略にはめられたのだ。
九条政の表情も険しくなり、周囲から投げかけられる驚きの視線に、次第に居心地の悪さを感じ始めた。
彼は愛人を作ったとはいえ、体面は保っていた。世間には下の娘が上の娘より二歳年下だと説明していたのに、今、結衣が靖子は自分より二ヶ月しか年下ではないと言ったことで、妻が妊娠したばかりの時から不倫をしていたことが、全員に知れ渡ってしまった。
まさに最低な男の姿を、九条結衣によって暴露されてしまったのだ。
彼は九条結衣を心底憎んでいたが、これだけ多くの人の前では、怒りを爆発させるわけにはいかなかった。