「正直に言うと、ここでは権力者をたくさん見てきたけど、藤堂様のような方は初めて見たわ。雑誌で見るより素敵で、その雰囲気といったら、まあ...」
「一晩一緒に過ごせるなら、お金なんていらないわ...」
「あなたなんかには無理よ。ここには彼と無料で寝たがる女性がたくさんいるんだから...」
「...」
周りの人々が噂する藤堂様のことを聞きながら、目の前で愛想笑いを浮かべている松本裕司を見て、九条結衣は先ほどの女性たちが話していた藤堂様が誰なのか、聞くまでもなく分かっていた。
脇に下ろした手が少し強く握りしめられたが、すぐにまた力が抜けた。
何を気にしているのだろう。
もう離婚したのだから、彼が誰と遊ぼうと、自分には関係ないはずなのに。
九条結衣は心の中で自分を強く叱りつけ、フロントのスタッフに目を向けて尋ねた。「すみません、見つかりましたか?」
「申し訳ございません。夏川雫様のお名前では予約が見当たりません。もしかして、他の方のお名前で予約されているかもしれませんが...」
返事を聞いた九条結衣の眉間にはさらに深いしわが寄った。
そして、ずっと九条結衣と話すチャンスを狙っていた松本裕司は、すかさず前に出て、愛想笑いを浮かべながら言った。「奥様、このクラブは私どもの社長の友人が経営しているんです。夏川弁護士をお探しでしたら、中に入って社長に聞いていただければ...」
松本裕司は、また一生懸命に自分のボスのためにチャンスを作ろうとしていた。個室で失恋の酒を飲んでいる社長のことを思うと、松本裕司は改めて秘書としての自分の苦労を実感した。
「結構です」
九条結衣は考えるまでもなく即座に断り、再び携帯電話を取り出して夏川雫に電話をかけながら、個室の方向へ歩き始めた。
夏川雫の携帯電話はまだ誰も出ない。九条結衣の心配は更に募っていった。
そのとき、右手の個室のドアが開き、九条結衣は思わずそちらを見た。そこには、憔悴と落胆の表情を浮かべた顔があった。
九条結衣はその顔を見つめ、数秒間呆然としてから我に返った。
こんな時に藤堂澄人に会うとは思わなかった。今の彼の様子は、彼女を驚かせた。