しかし、彼女は相手の厚かましさを過小評価していた。彼女が顔を近づけた時、彼が顔を横に向けたため、九条結衣は直接彼の唇に触れてしまった。
相手の目に浮かんだ得意げで狡猾な笑みを見て、彼女の顔は一瞬にして曇った。
藤堂澄人の唇から離れようとした時、彼は彼女より早く、後頭部を押さえつけ、そのキスを深めた。
十分にキスを楽しんだ後、彼は名残惜しそうに彼女を放した。
「妻よ、一緒に会社に来ないか」
彼はネクタイを締めながら、期待を込めて九条結衣を見つめた。
「行かないわ。やることがたくさんあるの」
九条結衣の視線はパソコンの画面に留まったまま、彼に対する不満を顔に表していた。
「私のオフィスで仕事をしても同じだろう」
彼は九条結衣の傍に寄り、オフィスチェアの肘掛けに腰掛け、長い腕で彼女を包み込むように抱きしめた。
「行かないって言ってるでしょ」
「行こうよ。会社は君のものなんだから、私一人に任せっきりにするわけにはいかないだろう」
藤堂澄人は身を屈めて、また哀れっぽい演技を始めた。
九条結衣は彼の「会社は君のもの」という言葉を全く気にしていなかった。
再婚の手続きすらまだ済ませていない今、たとえ済ませたとしても、せいぜい夫婦共有財産になるだけで、どうして彼女のものになるというのだろう。
それに、彼女は藤堂澄人の持ち物を欲しいと思ったことは一度もなかった。
それでも結局、藤堂澄人は甘い言葉で九条結衣を会社に連れて行くことに成功した。
「社長、奥様、おはようございます」
「社長、奥様、おはようございます」
「……」
最上階の社長室まで「奥様」という言葉を聞きながら上がっていった。以前から九条結衣が藤堂グループに来ていたことがあり、さらに社長がSNSで度々ラブラブな投稿をしていたため、藤堂グループの社員全員が、奥様への敬意は社長への敬意以上に重要だと知っていた。
「社長、会議の時間です」
「ああ」
藤堂澄人は軽く返事をし、秘書が出て行った後、傍らにいる九条結衣の元へ寄って言った。
「妻よ、一緒に会議に出ないか」
「行かないわ」
九条結衣は考えるまでもなく断った。突然会社に来ただけでも居心地が悪いのに。
確かに今は外から見れば正当な立場にいるのかもしれないが、彼女自身の心の中では非常に違和感があった。