夫婦は同じ林の鳥だと言われるが、いざ困難に直面すると、それぞれ逃げ出すものだ。
彼は交通事故に遭い、ひき逃げされた後、病院に運ばれ、手術のために大金が必要だった。田中さんはその時彼を見捨てはしなかったが、その時の行動は見捨てるのと何が違うのか、同じように心が冷めないだろうか?
手術室に運ばれる時、お金がないという理由で、妻が地面に座って泣きながら太ももを叩くだけだったことを思い出すと、橋本東祐は心が冷え切るような思いがした。
伊藤佳代のそのような行動は、去って行くのと何が違うというのか?
いや、違いはある。
もし伊藤佳代が絵里子を連れて去っていれば、少なくとも彼がどのように死んでいくか病院で見なくて済んだはずだ。でもあの日、伊藤佳代は病院に残って泣き叫ぶだけで、少なくとも彼が死ぬところを見ることができた。
この十数年を振り返ると、伊藤佳代が息子を産まず、二人とも娘だったとしても、彼は伊藤佳代を粗末に扱ったことは一度もなく、稼いだお金は全て家に入れ、伊藤佳代に管理を任せていた。
伊藤佳代は彼に対して申し訳が立つのだろうか?
病院に入院していた半月以上の間、手塚家の兄嫁が手塚剛にどれほど優しく気を配っているかを見て、そして伊藤佳代が病院に来て自分の世話をする時はいつも笑顔一つなく、彼を見る目には常に怨みが込められていて、お金を稼げないことを責め、絵里子に十分な愛情を注がないことを責め、奈奈を贔屓することを責めていた。
橋本東祐は、疲れたと言う。
夫婦関係がこんな状態になってしまっては、本当に意味がない。
他人の夫婦の関係を見て、そして自分の状況を見比べて、橋本東祐は初めてこのような考えを持った。
ただし橋本東祐は日本の古い伝統的な考え方を持っており、本当に耐えられない状況にならない限り、普通は離婚という言葉を口にしない。
また、橋本東祐はこのような理由で伊藤佳代と離婚しようと思うことで、二人の娘、特に下の娘が理解できず、反対するのではないかと心配していた。
橋本東祐は工場で働いている時、誰かの夫婦が喧嘩で生活できなくなって離婚しようとしたが、子供たちが大騒ぎを起こし、学校にも行かなくなり、どうしても両親の離婚を認めなかったという話を聞いたことがある。