しかし、彼女は時枝秋を連れ戻すこともできず、胸の中で怒りが燻っていた。
文岩薫里は、時枝秋と藤原修が遠ざかっていくのを、ただ見つめることしかできなかった。
深夜、藤原修はまだ妻が映画に誘ってくれた喜びに浸っていた。パジャマ姿で起き上がり、時枝秋を起こさないように気を付けた。
書斎に向かい、デスクに座ると、今夜の一つ一つの出来事を思い出すたびに、眉目に宿る優しさが、顔の厳しさを全て押しやった。
窓の外では、月の光までもが柔らかくなったようだった。
翌日、時枝秋が学校に着くと、映画のチケットを手に週末を待ち望む人たちがいた。「あー、週末はまだかなぁ!早く映画見たい!すっごく面白いって聞いたんだよね。」
時枝秋は『私の人生を歌う』という言葉を聞いて、少し眉を動かしただけで、手元の問題を解き続けた。
「今夜見に行かない?最近の夜間自習、先生もずっと見張ってるわけじゃないし。」
センター試験まであと2ヶ月、授業はすでに全て終わり、残りは復習だけだった。高校3年A組のような優秀なクラスは自主性が高く、先生方も生徒たちにプレッシャーをかけすぎないよう、常に監視することはなかった。
「正気?高校3年の先生たちが文岩薫里から招待券をもらったの知らないの?もし先生も今夜たまたま見に来てたら、現行犯で捕まっちゃうじゃん。」
「マジで?」
「もちろん本当よ!文岩薫里のお兄さんが演じる役は結構重要な役どころだし、今この映画がすごく人気だから、文岩薫里は第一中学の全教師にチケットを配ったのよ。第一中学と私たちの学校は友好関係にあるから、ついでに私たちの学校の先生たちにもたくさんチケットが贈られたんだって。」
これを聞いて、夜間自習をサボって映画を見に行こうと考えていた数人は、おとなしくなった。
しかし心は既に誘惑され、勉強する気にもなれず、みんな文岩薫里がいかに人生の勝ち組かを議論し始めた。
葉山暁子と岡元博信が前後して教室に入ってきた。岡元博信は時枝秋の前の席、葉山暁子は時枝秋の隣の席。二人は時枝秋を見て、ただ微笑むだけで、邪魔をする勇気はなかった。
時枝秋はプロデューサーからもらった招待券を思い出し、カバンから数枚取り出して言った。「暁子、博信、これあげる。」
「えっ、『私の人生を歌う』のチケット?」葉山暁子は興奮した様子で言った。