第269章 このデパートは、時枝秋の名義にある

彼女も思いもよらなかった。尾張家のような小さな家庭から、堀口景介のような天才医師が出るなんて！

もっと早く知っていれば！

あの頃を思い出すと、堀口景介が遠方へ勉強しに行ったとき、彼女は家族を恨んでいた。男尊女卑で、男の子だけを連れて行き、自分は置いていかれたと思っていた。

今考えれば、堀口景介は当時から成績が優秀で、常に飛び級していたため、小さな町には彼に適した学校がなく、外で学ぶしかなかったのだろう。

他の家族との関係を修復する気はまだないが、堀口景介との関係は、時枝雪穂は疎かにしたくなかった。

時枝秋は外に出ると、携帯を開いて確認し、祖父から譲られた不動産権利書の中から華野市デパートのこの住所を見つけた。

なんと、このフロア全体が自分の名義だったのだ。

彼女はすぐにこのビルの責任者に電話をかけた。「家賃を上げます。」

すぐさま、このフロアの全員が動揺した。

華野市デパートは定戸市の老舗商業ビルで、立地が良く人通りも多いため、家賃は常に高額だった。

しかも華野市デパート全体が、ある裕福な名家に掌握されており、店舗は賃貸のみで売却はしないため、世界的な一流ブランドでさえ、入居するには相当な努力が必要だった。

今、所有者が家賃値上げを要求するとなれば、彼らが動揺しないはずがない。

家賃値上げはまだ小さな問題だ。もし退去を命じられたら、それこそ大変なことになる！

華野市デパートは立地の優位性で定戸市の商業施設の上位に君臨しており、新規テナントには事欠かないが、ここを借りられなくなったら、彼らはどこで商売をすればいいのか？

しばらくすると、時枝秋の周りには華野市デパートの幹部たちが集まってきた。

スーツ姿の中年男性たちは、時枝秋の傍らで極めて恭しい態度を示した。

「時枝さん、大変申し訳ございません。先日のオーナー交代の際は、私どもの不手際で、もっと早くご挨拶に伺うべきでした。」

「はい、全て私どもの不備でございます。誠に申し訳ございません。」

彼らは時枝秋がこのことで怒っているのだと思っていた。

しかし彼らも困っていた。以前からデパートのオーナーが変わったことは知っていたが、新しいオーナーの身元がわからず、問い合わせる術もなかったため、今日まで延びてしまったのだ。