第571章 知られざる事(1)

夜明け前の東京都は湿度が高く、少し肌寒かった。通りはがらんとしていて、車が通り過ぎるのもめったにない。鈴木和香は道端に立ち、長い間待って、ようやく一台のタクシーを拾い、桜花苑まで行くように告げた。

タクシーが桜花苑に到着すると、和香はお金を払い、おつりも待たずに中へ駆け込んだ。

桜花苑の暗証番号は変わっておらず、長い間誰も来ていないようだった。中庭には花びらや落ち葉が泥のように積もり、その上を歩くとぎしぎしと音を立てた。

和香が玄関のドアを開けると、靴箱の横に二足のスリッパが静かに置かれているのが目に入った。一足は男性用で、もう一足は女性用。その女性用のスリッパは、彼女が彼と夫婦を演じていた時に使っていたものだった。ほら、出て行く時に袋に入れて捨てるように言ったはずなのに、今また元の場所に戻されていた。まるで二人がまだここに住んでいるかのように。

部屋の中は空っぽで、誰の姿もなく、以前のままだった。置き時計には埃が積もっていた。

和香は階段を駆け上がり、寝室のドアを開けた。中は真っ暗で、少し落胆しながら明かりをつけると、きちんとメイクされたベッドの真ん中に、かつて彼女が買ってきた等身大のクマのぬいぐるみが置かれているのが見えた。ドレッサーの上には、彼女が全て持ち出したはずの化粧品が新しく並べられていた。以前彼女が使っていたものと同じブランドで、アイライナーまで同じものだった。

あの男は、いつもクールな態度で何事にも無関心そうなのに、いつの間に彼女が使っていたものを一つ一つ、こんなにも鮮明に覚えていたのだろう。

和香は、自分がこんなに泣き虫だったとは知らなかった。すぐに涙が溢れ出てきた。

何かを予感したかのように、彼女は更衣室に入った。クローゼットの中には、半分が彼の服、もう半分が彼女が置いていって捨てるように言った服が掛かっていた。クローゼットを埋めきれなかったからか、あるいは彼女に贈りたかったけれど理由が見つからなかったのか、壁一面のクローゼットには、彼女が好きだったブランドの最新作が、タグもついたままぶら下がっていた。

和香は唇を強く噛みしめながら、バスルームに入った。歯磨き粉、歯ブラシ、ボディソープ、洗顔料...彼女がここに半年以上住んでいた時に使っていたものが、全て元の場所に戻されていた。