お風呂を済ませた海野桜が階下に降りると、懐かしい美味しそうな料理の香りが漂ってきた。
張本さんは彼女のために沢山の美味しい料理を作っていた。湯気の立つ料理を食べていると、海野桜は突然涙を流し始めた。
「お嬢様、どうして泣いているんですか?!どこか具合が悪いんですか?」張本さんは驚いた。
海野桜は涙を拭いながら、笑顔で首を振った。「大丈夫よ」
「じゃあ、なぜ泣くの?何か辛いことでもあったの?」張本さんは心配そうに尋ねた。
海野桜の母は彼女を産む時に難産で亡くなった。幼い頃から母親がいない彼女を、ずっと張本さんが面倒を見てきた。
張本さんは彼女にとって、母親のように親しい存在だった。
海野桜は前世のことを思い出していた。刑務所に入った後、一度も美味しい料理を食べることはなかった。
今になって分かった。毎日張本さんの手料理が食べられることは、どれほど幸せなことか。
自分があまりにも失敗者だったことを後悔していた。人生のあらゆる場面に幸せがあったのに、なぜそれを大切にできなかったのか。なぜ自滅的な行動を取ってしまったのか。
「張本さん、お料理が本当に美味しいの。私、張本さんの料理が大好き……」海野桜は笑顔で言った。
張本さんは満面の笑みを浮かべた。「お気に召していただけて嬉しいです。毎日作らせていただきますよ!」
「うん」
食事を終えると、辺りは暗くなっていた。
海野桜はベッドに横たわり、前世で起きた全てのことを整理していた。考えているうちに、突然階下から車のエンジン音が聞こえてきた。
東山裕が帰ってきた!
海野桜は驚いた。彼はめったに帰ってこないので、今夜も帰らないと思っていた。
東山裕の大きな体が寝室に入ってきた。
ベッドに寄りかかってまだ寝ていない海野桜を見ると、彼の視線は冷淡で、何も言わず、ちらりと見ただけですぐに目を逸らした。
東山裕は物を取りに帰ってきただけだった。着替えを二セット取り出すと、書斎に資料を探しに行こうとした。
「東山裕」海野桜は彼を呼び止めた。「話をしよう」
男が振り返ると、きらびやかなシャンデリアの下で、その端正な顔立ちが一層際立っていた。
海野桜は前世で彼に夢中になったのは、この顔に惹かれたからだった。あまりにも美しく、骨の髄まで漂う気品があった。福岡市どころか、全国でも彼ほど魅力的な男性は数少ないだろう。
女性なら誰でも、彼に恋をしてしまうはずだ。
「何の話だ?」彼は冷たく尋ね、すぐに軽蔑するように口元を歪めた。「お前が話したい内容なら、興味はない」
彼は、彼女が持ち出す話題を相変わらず「どうして私に優しくできないの?」という詰問だと受け止めていた。
自分を計算づくで騙した女に、どうして優しくできるというのか!
「きっと興味があるわ」海野桜は澄んだ目で言った。「考えたの、私たちやっぱり離婚しよう」
東山裕は確かに意外そうだった!
彼は目を細めた。「また何か企んでいるのか?」
「何も企んでないわ。あなたは私のことが好きじゃないでしょう。私ももう続けたくない。だから離婚しよう」
東山裕は深い眼差しで見つめた。今日の海野桜は様々な点で普段と違っていた。
最初は彼に対して無関心な態度を見せ、今度は離婚を持ち出してきた……一体何をしようとしているのか?
海野桜が急に悟りを開いたように彼への想いを断ち切り、解放を決めたという話に、彼はまるで納得できなかった。
彼が信じないのはもちろん、海野桜を知る人なら誰も信じないだろう!
誰もが知っている。彼女は幼い頃から、ずっと狂おしいほど彼を愛していたのだから。
東山裕は冷笑した。「今回の新しい手口は、確かに斬新だな!」
これまで海野桜は彼の心を得ようと、様々な策を弄し、しょっちゅう新しい方法で彼の注意を引こうとしていた。
今回の手口は、唯一彼が目を見張るものだった。
彼が信じていないのを見て、海野桜は力なく言った。「本気よ。離婚しよう!言葉通りにするから!」