069 運命の縁なし

矢崎粟と森田輝が洗面所から戻ってきたとき、森田輝は矢野常が以前の矢崎美緒の位置に立っているのを見た。矢崎美緒の姿はもうどこにもなかった。

森田輝は肘で矢崎粟をつついた。「粟、彼があなたを待っているんじゃないかな」

森田輝には本当に理解できなかった。なぜ矢野常は最初から矢崎美緒の側に立っているのに、裏では頻繁に矢崎粟を探しに来るのか。

本当に矢崎粟が言うように、矢野常の頭がおかしくなったのだろうか?

「無視すればいいわ。彼の頭はおかしいから」矢崎粟は森田輝の手を引いて、矢野常の横を通り過ぎた。

彼女はその言葉を声量を下げずに言った。矢野常ははっきりと聞こえていた。

「……」矢野常の表情が暗くなり、声も冷たくなった。「僕の頭はおかしくない」

矢崎粟は振り向きもせずに言った。「精神病患者だって自分が精神病だと認めないものよ!」

森田輝は必死に笑いをこらえた。

矢崎粟はそれに気づき、笑いながら彼女の腕を軽く握った。「バカ笑いしないで、早く休みに行きましょう」

森田輝が頷いて矢崎粟と一緒に戻ろうとしたとき、矢野常が矢崎粟を呼び止めた。

「矢崎粟、十分に罵った?罵り終わったなら、ちゃんと話し合おう」

矢崎粟は相変わらず振り向かなかった。「もう絶交したんだから、話す必要なんてないわ」

矢野常は眉をひそめた。「君がそんなことを言うのは好きじゃない」

矢崎粟が歩き出そうとしたところを矢野常に腕を掴まれ、彼は彼女の耳元で低く言った。「こんなことをするのは、僕たちの関係を公にさせたいからかい?」

「元カレなんて、公表したければすればいいわ」矢崎粟は動じなかった。今の彼女は一人身だ。彼らの関係を公表しても、最も不利益を被るのは矢野常だけだろう。

「別れることに同意できない」矢野常は矢崎粟の腕を掴む手に、無意識のうちに力が入った。

矢崎粟は腕に伝わる痛みを感じ、眉をひそめた。「矢野常、痛いわ」

矢野常は一瞬驚いて手を放し、矢崎粟はすかさず腕を引き離した。

「別れるのにあなたの同意なんて必要ないわ。私が同意すれば十分」矢崎粟は眉をひそめながら付け加えた。「あなたと矢崎美緒はうるさいわ。私から離れた方が、お互いのためよ」

矢野常は諦めなかった。「二人きりで話そう。そうすれば君を煩わせないから」