「もしもし……」
「黒川さん、一ヶ月近く診察に来ていませんね」電話の向こうから、落ち着いた知的な女性の声が聞こえてきた。
黒川浩二は、少女の愛らしい顔を思い浮かべ、薄い唇を軽く上げた。「これからも行きません」
電話の向こうの女性は一瞬黙り、しばらくしてから推測するように言った。「黒川さんは、心を動かされる人ができたようですね」
黒川浩二は否定せず、「海野先生、お世話になりました。明日、費用を振り込ませます」
海野先生は軽く笑って、「ありがとうございます、お幸せに」
黒川浩二は電話を切り、携帯をテーブルに投げ、顔を上げるとハンガーにかかったスーツが目に入った。ポケットの金木犀の花はもう取られていたが、空気にはまだかすかに金木犀の香りが漂っているようで、硬い表情に春のような笑みが浮かんだ。