第034章:今すぐ荷物をまとめて出ていけ

現場の状況は混乱を極めていたが、向井和豊は他のことなど気にしている場合ではなく、目の前の人物こそが最も重要だった。

「井上さん……来られたのになぜ事前に連絡してくださらなかったのでしょうか……」

向井和豊は顔を赤らめ、酒臭さを漂わせていた。明らかに先ほどまでクラブの個室で遊んでいたようだった。

井上裕人は不機嫌そうに眉をひそめたが、向井和豊には目もくれず、すぐ近くにいた数人の警備員に向かって言った。「このガラスの破片を全部片付けろ。」

傍らの田中社長もこの時には半分酔いが覚めたようで、目の前の人物は見たことがなかったが、井上さんの名前を東京で知らない者などいないだろう。酔った勢いで井上家のナイトクラブで騒ぎを起こしてしまったことを思い出し、冷や汗が噴き出した。今は存在感を消すように隅で小さくなっており、井上さんに無視されることを願っていた。

しかし、井上裕人は田中社長を眼中に入れていないようでありながらも、決して忘れてはいなかった。すぐさま骨ばった指を横に上げ、「それと、この男だ。壊した花瓶は骨董品だった。賠償金として二億円置いていけ。それから追い出せ。」

数人の警備員は言われるまでもなく、手際よく田中社長を両脇から抱え上げた。周りで見物していた人々は騒ぎを見ていたが、余計な口出しはできなかった。井上家の井上さんは性格が陰鬱で予測不能だと言われており、表面上は不真面目そうに見えるが、実際は気分屋で怒りっぽく、ちょっとした言葉で災難に巻き込まれる者も出るという噂だった。

人々が心の中でそう思っていると、案の定、井上裕人の視線が謝罪の表情を浮かべる向井和豊に向けられ、いらだたしげに言った。「それからお前も、今すぐ荷物をまとめて出て行け!」

向井和豊の笑顔が凍りつき、恐怖に満ちた表情で井上裕人を見つめ、しばらくして反応を取り戻すと慌てて叫んだ。「井上さん、もう一度チャンスをください。二度とこんなことはしません……」

全員が驚愕した。この向井和豊は東京でも名の通った人物で、パラダイスクラブの総支配人として、ナイトクラブ全体を管理していた。パラダイスの東京での知名度からして、上流階級のほとんどが向井部長を知っていた。

しかし、まさかこんな些細なことで井上さんの眉顰を買い、即座に解雇されるとは誰も想像していなかった。