井上裕人は何も言わず、車のドアを開けて乗り込もうとした。
「裕人、ちょっと待って!」
背後から突然、井上延の声が聞こえ、井上裕人は動きを止めて振り返った。
来た人を見て、井上裕人は平然とした表情で「叔父さん、何か用ですか?」と尋ねた。
井上延は井上裕人の実の叔父だが、普段から甥の前で長老面をすることはできず、それどころかこの甥に対して何か得体の知れない恐れを抱いていた。それは恐らく井上裕人の陰鬱で読めない性格と関係があるのだろう。
今のように、井上裕人の表情から何も読み取れないとき、井上延はその不確実さに最も不安を感じるのだった。
笑顔は少し硬かったが、井上延は将来の井上財閥の後継者が井上裕人であることを知っていたので、今のうちに親密になっておく必要があった。それは将来のための布石だった。