その時、井上邸にて。
井上雪絵は数日前に井上邸に戻って住むようになった。井上邸は広かったが、どこにも家族の姿が見られ、それによって雪絵の心は徐々に落ち着きを取り戻していた。
最上階の寝室で、雪絵はベッドに半身を預け、小さな顔には悩ましい表情を浮かべていた。手にはピンク色の携帯電話を握り、連絡先には絵里菜の電話番号が表示されていた。
しばらく迷った後、雪絵は結局電話を脇に置いた。
事件から一ヶ月が経ち、雪絵自身もようやく恐怖から抜け出せたところだったが、彼女が最も心配していたのは自分ではなく、馬場絵里菜のことだった。
ただ、これら全てが自分が原因で起きたことを考えると、絵里菜に連絡する勇気が出なかった。
あの外国人の女性がナイフを持って絵里菜に向かっていく光景は、この期間中ずっと彼女を悩ませ続けた悪夢だった。その後気を失ってしまい、その後のことは分からないが、その一場面だけでも十分に自責の念に駆られるほどだった。自分が巻き込んだせいで、絵里菜は命を落とすところだったのだから。
輝がこのことを知ったら、きっと自分のことを嫌いになるだろう。
だって輝は絵里菜のことをとても大切にしているのだから。
考えれば考えるほど胸が詰まり、雪絵は人形を抱きしめて「うぅ」と泣き出した。
「雪絵さん...」
しばらくして、ドアの外から家政婦の声が聞こえ、雪絵は慌てて顔を上げ、適当に涙を拭った。
「はい、どうしたの、花さん?」
雪絵は必死に普通の声を装った。この件についてお爺さんは知らないし、他の人にも自分が悩んでいることを気付かれてはいけなかった。
もしお爺さんに自分が誘拐されたことを知られたら、きっと心配するに違いない。
ドアの外の花は、雪絵の声に何か異常があるとは気付かなかったようで、すぐに答えた。「みなさんいらっしゃいましたよ。お爺様が下へ来るようにとおっしゃっています。もうすぐ食事の時間です。」
「分かりました、今行きます。」雪絵は返事をした。
今日は井上家の週一回の家族会食の日で、雪絵が戻ってきてからは、毎週の家族会食に裕人も必ず時間通りに姿を見せるようになっていた。
最愛の孫たちが側にいることで、井上お爺さんの体調も一段と良くなり、不眠の症状も半分以上改善され、漢方薬も長らく服用していなかった。