仁藤心春は驚いた。彼がなぜここに来たの!
「どうしたの?お姉さんは私に会いたくないのかな?」温井卿介は唇を上げて微笑みながら言った。その様子は相変わらず優しく見えた。
仁藤心春は体を硬直させながら前に進み、ここに来たのは温井卿介だけではなく、多くのボディーガードもいることに気づいた。彼らは今、山本家の玄関前の廊下に立っていた。
整然と並んだ二列の人々で、もともと広くない廊下がほぼ完全に塞がれていた。
「い...いえ、でもあなたはお祖父様の後事で忙しいはずでは?」仁藤心春は苦しそうに言った。
「確かに忙しいけど、お姉さんが心配で、特別にお迎えに来たんだ」温井卿介はそう言いながら、仁藤心春に向かって手を上げた。「お姉さん、こっちに来ないの?」
仁藤心春は差し出された手をぼんやりと見つめていた。
長く、白く、とても美しい手だった。かつては彼の手を神の傑作だと思っていた。
しかし今、その手は彼女の心に恐れを抱かせた。
彼女が躊躇している間に、山本綾音が言った。「心春、温井さんが迎えに来てくれたんだから、先に帰ったほうがいいわ。私は本当に大丈夫だから、心配しないで」
仁藤心春は横にいる親友の方を振り向いた。
綾音よ、あなたは何も知らないのね。あなたが誘拐されたのは温井卿介の策略だったこと、温井卿介のせいで私と温井朝岚の関係がこうなってしまったことを。
でも、この真実を綾音にどう伝えればいいの?そもそも伝えるべきなの?
仁藤心春の目には葛藤の色が浮かんでいた。
「お姉さん!」温井卿介の冷たい声が再び響いた。「帰らないの?」
優しい声のはずなのに、まるで警告のように聞こえた。
仁藤心春は深く息を吸い、ついに前に進み、差し出された掌の上に自分の手を置いた。
次の瞬間、彼の大きな手が彼女の手を握りしめた。
とても強く、まるで手の骨が痛むほどだった。
「じゃあ綾音、私先に帰るね」仁藤心春は言った。
「うん」山本綾音は応えた。
仁藤心春は親友に異変を気づかれたくなかったので、痛みを我慢しながら温井卿介について山本家のアパートを出た。
「私...ちょっと出かけただけで、逃げ出すつもりなんてなかったわ」仁藤心春は口を開いた。