第74章 早く民政局で手続きを

小山千恵子は見知らぬ病室に横たわり、眠れずにいた。

湖畔クリニックは繁華街から離れており、夜はより一層静かだった。

窓の外は湖全体を見下ろせる高台だった。

月の光が波立つ湖面に降り注ぎ、耳を澄ませば、風が草木を揺らす音が聞こえた。

確かに療養には最適な場所だった。

しかし、小山千恵子は眠れなかった。

彼女の右目が絶えずピクピクと痙攣していた。

そのとき、クリニックの洋館の入り口から、車の音とドアを閉める音が聞こえてきた。

小山千恵子は心臓が喉まで飛び出しそうになった。

こんな遅い時間に、ここに来られるのは、浅野武樹以外に誰がいるだろうか?

夜も更けて、医療チームは別棟で休んでいた。

藤原晴子は一日中疲れており、すでに帰らせていた。

小山千恵子は考える暇もなく、熊谷玲子のフルーツナイフを枕の下に隠した。

革靴の音がロビーから小山千恵子のいる階まで近づいてきた。

ドアの外で騒がしい気配がし、おそらく夜勤の看護師が音を聞きつけて来たのだろう。

「お客様、どちらさまでしょうか?患者様はもう休まれています。お帰りください。」

若い看護師の声は少し震えていた。

目の前の背の高い男性は、厳しい表情で、上位者特有の反論を許さない雰囲気を漂わせており、彼女は制止する勇気が出なかった。

浅野武樹は彼女を一瞥した。

「私は患者の家族だ。ここへの転院は、私の同意なしで行われたようだな。」

若い看護師は大きく驚いた表情を見せた。「あ、あなたが浅野社長様?」

藤原晴子は帰る前に、もし家族だと名乗る浅野という姓の男性が来たら、すぐに連絡するように伝えていた。

浅野武樹は鼻で冷ややかに笑い、小山千恵子の病室のドアノブに手をかけた。

カチッという音がしたが、ドアは施錠されていて開かなかった。

浅野武樹は震える若い看護師を冷たく見つめた。

何も言わなかったが、その圧迫感に息が詰まりそうだった。

若い看護師は本能的にキーカードをかざし、ドアを開けた。

浅野武樹は手でドアを押し、中に消えた。

ドアの外には、背の高い屈強なボディーガードたちが不機嫌な顔で並んでいた。

若い看護師が電話をかけようと逃げ出そうとしたとき、スーツ姿の男性に押しとどめられた。

「藤原晴子さんに連絡するように言われたんですよね。もう少し待ってください。」