浅野武樹は慎重に言葉を選んで口を開いた。「私たち――」
「おじいちゃん、まだ上がってないんですか?」
隣のおじいちゃんはにこにこしながら「若い人と少し話してたんだよ。野菜を二品持ってきたんだ」
小山千恵子は足早に近づき、頬を赤らめ、少し息を切らしながら「ありがとうございます。早く上がってください」
おじいちゃんは浅野武樹を一瞥し、小山千恵子は察して「あ、この方は私の上司で、ついでに送ってくれただけです」
浅野武樹は眉をひそめ、反論したいのに何も言えなかった。
元妻?
今や彼は会社の上司に過ぎない。
エレベーターの中で、おじいちゃんはにこやかに話を続けた。「小山さん、千葉家の若い人、最近来てないけど、二人はうまくいってるの?」
小山千恵子は目の前が真っ暗になり、息が詰まりそうになった。
おじいちゃんは見事に地雷を踏んでいた。質問の一つ一つが、彼女の命を考慮していないようだった。
小山千恵子は思わず浅野武樹の表情を窺い、笑顔を作って早口で答えた。「千葉さんは元気にしてますよ」
おじいちゃんは安心したように頷いた。「それは良かった。あなたは料理が苦手だし、いつも出前じゃよくないよ。千葉さんの料理の腕前は悪くないから、今度またピーマンの肉詰めを作りに来てもらわないとね!お酒に合うんだよ」
小山千恵子は気まずそうに相づちを打ち、おじいちゃんがエレベーターを降りるのを見送った。
浅野武樹はビニール袋を強く握りしめ、冷たい口調で「千葉隆弘が、よく来るのか?」
小山千恵子は頭が疲れ果てていたので、開き直って「そう、何度か来て、隣人とも一緒に食事をして、みんな知り合いです」
浅野武樹の胸が激しく上下し、氷のような表情で、エレベーター内の空気は息苦しいものとなった。
何度か来ていた。
隣人とも知り合い。
彼は不意に、小山千恵子が子供を抱いて千葉隆弘とレース場に行った光景を思い出し、胸が詰まった。
鍵を開けると、小山千恵子の予想と違って、部屋の中は綺麗に整っていた。
どうして……
最近忙しくて、昨夜も残業で帰れなかったのに。
浅野武樹の大きな影が玄関に立ち、頭がシャンデリアに届きそうなほどで、狭い空間の中で少し窮屈そうだった。
彼は黙って部屋を見回してから、やっと一歩を踏み出した。