病院を出るとき、小山千恵子は少し良くなったと感じた。
熱が下がったのか、それとも浅野武樹が記憶を取り戻したことに驚いたのか、今は頭がとても冴えていた。
小山千恵子は渋々車に乗り込んだ。二人の間の雰囲気は非常に微妙だった。
浅野武樹は何度も助手席に視線を向け、喉仏を動かしたが、結局何も言い出せなかった。
聞きたいことは山ほどあったが、どこから切り出せばいいのか分からなかった。
さらには、本当に真実と向き合う準備ができているのかも分からなかった。
小山千恵子も黙って窓の外を見ていた。表面上は平静を装っていたが、心の中は波が荒れていた。
思い出というものは、ドミノのようなものだ。
一度少しでも思い出すと、多くの断片が次々と広がっていく。
彼女には分かっていた。浅野武樹はすぐに全てを思い出すだろうと。
でも、彼女は?
その時が来たら、記憶を取り戻した浅野武樹とどう向き合えばいいのか。
割れた鏡は元に戻りにくい。元に戻そうとして、彼女はすでに大きな代償を払ってきた……
小山千恵子は少し心乱れて唾を飲み込んだ。喉は炎症で腫れて痛かった。
声を押し殺して軽く咳をしたが、それでも浅野武樹に気づかれてしまった。
「生姜茶とのど飴が、そばにあるよ」
小山千恵子は少し目を見開き、驚いた。
彼女はほとんど忘れかけていた。浅野武樹は大切な人に対して、非常に細やかな気遣いができる人だということを。
買い物の時に彼女が何度か見つめた物、食卓で彼女が何度か箸を伸ばした料理、全て彼の目を逃れることはなかった。
でもそれは、ずっと昔のことだった……
小山千恵子は目に浮かぶ寂しさを隠した。
あれほどの誤解と行き違いを経験した今、二人の間には緊張感と警戒心しか残っていなかった。
午後いっぱい奔走し、ようやく関係するデザイナーへの訪問が終わった。
幸い小山千恵子の危機管理戦略が時宜を得て効果的で、さらに浅野武樹も表に立ってくれたおかげで、この契約から引き起こされた騒動も急速に収まった。
最後のデザイン事務所を出る時、小山千恵子はタクシーを呼んでこっそり逃げ出そうと考えていた。
浅野武樹は背の高さを活かして、小山千恵子が片隅でこっそりタクシー配車アプリを見ているのを早くから気づいていた。